アルバン・W・バークリー

アルバン・W・バークリー
Alben W. Barkley
生年月日 (1877-11-24) 1877年11月24日
出生地 アメリカ合衆国 ケンタッキー州グレーヴス郡
没年月日 1956年4月30日(1956-04-30)(78歳)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 バージニア州レキシントン
出身校 エモリー大学
バージニア大学法科大学院
所属政党 民主党
配偶者 ドロシー・ブロワー・バークリー
ジェーン・ハドレイ・バークリー
子女 デヴィッド・バークリー
マリアン・バークリー
ローラ・ルイーズ・バークリー
宗教 メソジスト
サイン

在任期間 1949年1月20日 - 1953年1月20日
大統領 ハリー・S・トルーマン

アメリカ合衆国上院
第5代多数党院内総務
在任期間 1937年7月22日 - 1947年1月3日
大統領 フランクリン・ルーズベルト
ハリー・S・トルーマン

アメリカ合衆国上院
第8代少数党院内総務
在任期間 1947年1月3日 - 1949年1月3日
大統領 フランクリン・ルーズベルト
ハリー・S・トルーマン

アメリカ合衆国上院
第3代民主党上院院内総務
在任期間 1937年7月22日 - 1949年1月3日
大統領 フランクリン・ルーズベルト
ハリー・S・トルーマン

選挙区 ケンタッキー州の旗 ケンタッキー州
在任期間 1927年3月4日 - 1949年1月19日
1955年1月3日 - 1956年4月30日

その他の職歴
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
下院議員

1913年3月4日 - 1927年3月4日
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アルバン・ウィリアム・バークリー英語: Alben William Barkley1877年11月24日 - 1956年4月30日)は、アメリカ合衆国政治家。同国第35代副大統領(在任: 1949年1月20日 - 1953年1月20日)。ケンタッキー州選出連邦下院議員、同州選出連邦上院議員連邦上院で多数党、少数党の院内総務を歴任した。

生い立ちと初期の経歴

1877年11月24日にケンタッキー州グレーブス郡ロウの近くの丸太小屋で誕生し、ウィリー・アルバン・バークリー(Willie Alben Barkley)と名付けられた。両親のジョン・ウィルソン・バークリーとエレクトラ・イライザ・スミス・バークリーは、信心深い小作人であった。同州クリントンのマーヴィン・カレッジに入学、スピーチと討論に優れた彼は、1897年に同校を卒業し、ジョージア州オックスフォードのエモリー・カレッジ(今のエモリー大学)に入学し、デルタ・タウ・デルタに加わった。1900年に卒業し、その後バージニア州シャーロッツビルバージニア大学法律学校に入学した。彼が「ウィリー・アルバン」から「アルバン・ウィリアム」に改名したのはこの頃であった。

1901年に法曹界入りしケンタッキー州マクラケン郡のパデューカで弁護士業を始めた。1905年から1909年までマクラケン郡検察官、1909年から1913年までのマクラケン郡裁判所判事を務め、都市の住民よりむしろ農民に同調した進歩人として名声を築き上げた。そのエネルギッシュで気さくな選挙活動と、巧みな演説技術はバークリーを地元の民主党における有力候補とした。彼は1912年の議会予備選挙で3人の対立候補を破り、連邦下院議員となった。

政治経歴

ケンタッキー州第1選挙区で民主党から第63議会及び次の6つの議会(1913年3月4日 - 1927年3月4日)への下院議員に選出された。下院議員として禁酒法の改正及びボルステッド法の延長に尽力した[1]

彼は1923年のケンタッキー州知事選において反石炭ギャンブルの活動を率い、州全体にその名が知れ渡った。バークリーは民主党知事候補指名を僅差で失ったが、選挙におけるその唯一の敗北は、1926年の上院選への出馬を助けることとなった。選挙戦で彼はケンタッキー州における知名度を高め、遊説において一日最大16回の演説をこなすことで「鉄人、Iron Man」の愛称を獲得した。

1926年に上院議員に選出された。1932年・1938年・1944年・1954年に再選され、1927年3月4日から1949年1月19日の彼の辞職まで同職を務めた。また1937年から1947年まで院内総務、1947年から1949年まで少数院内総務を務めた。

1932年のシカゴにおける民主党全国大会で基調演説を行った。同大会ではフランクリン・ルーズベルト大統領候補に選出された。また、1936年及び1948年のフィラデルフィアにおける民主党全国大会でも基調演説を行っている。1933年12月に民主党カンファレンスの副議長及び上院院内総務ジョセフ・T・ロビンソンのアシスタントとなった。彼はロビンソンと共にニューディール政策関連法の可決に取り組んだ。例えば証券取引所法全国労働関係法(ワグナー法)・社会保障法などであり、これらは1934年から1936年にかけて上院を通過した。1937年の司法手続改正法案が実施される間にロビンソンは死去し、バークリーはミシシッピ州選出連邦上院議員のパット・ハリスンと院内総務の座を争った。投票では38対37と1票差でハリスンを破ることとなる。

バークリーの最初の妻のドロシー・ブロワー・バークリーは長期の病気療養の後1947年に死去した。そのような個人的労苦にもかかわらず、バークリーの公的人格は高く評価された。彼は最も人気がある民主党員として格付けされて、ルック誌の最も「魅力的な」アメリカ人の座をドワイト・D・アイゼンハワー将軍と争った。外交官ダグラス・マッカーサー2世は娘婿である。

副大統領職

1948年にトルーマンの伴走候補者に選ばれ、1949年1月20日から1953年1月20日まで副大統領を務めた。1952年に民主党の大統領候補の指名選挙に立候補したが、高齢が理由でイリノイ州アドレー・スティーブンソン州知事に敗北した。彼は連邦上院議員に再び選任され、1955年1月3日からその死まで同職を務めた。彼はバージニア州レキシントンで死去し、ケンタッキー州パデューカの近くのローン・オーク・ロードのケントン山墓地に埋葬された。彼の栄誉にちなんで、エモリー大学の討論クラブがバークリー・フォーラムと改名された。

参照

  1. ^ Time Magazine. Kentucky: The Roosevelt Handicap. August 1, 1938.

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、アルバン・W・バークリーに関連するカテゴリがあります。
  • United States Congress. "アルバン・W・バークリー (id: B000145)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • NPR's All Things Considered: Remembering Truman's Veep
  • WKMS Radio Influential Kentucky politicians series: Alben Barkley
  • C-SPAN's American Political Archive on Barkley
  • Alben Barkley's Gravesite
  • Washington & Lee Mock Convention
  • Louie B. Nunn Center for Oral History, University of Kentucky
  • Vice Presidents of the United States: Alben Barkley
  • Barkley Collection - Barkley's Papers at the University of Kentucky

先代・次代

公職
空位
最後の在位者
ハリー・S・トルーマン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国副大統領
第35代:1949年1月20日 - 1953年1月20日
次代
リチャード・ニクソン
先代
ジョン・シャーマン・クーパー
アメリカ合衆国の旗 ケンタッキー州選出連邦上院議員(第2部)
同職:アール・C・クレメンツ

1955年1月3日 - 1956年4月30日
次代
ロバート・ハンフリーズ
先代
リチャード・P・エルンスト
アメリカ合衆国の旗 ケンタッキー州選出連邦上院議員(第3部)
同職:フレデリック・M・サケット
ジョン・M・ロビンソン
ベン・M・ウィリアムソン
マーベル・M・ローガン
ハッピー・チャンドラー
ウィリアム・A・スタンフィル
ジョン・シャーマン・クーパー
ヴァージル・チャップマン

1927年3月4日 - 1949年1月3日
次代
ギャレット・L・ウィザース
先代
オリー・M・ジェームズ
アメリカ合衆国の旗 ケンタッキー州選出連邦下院議員(第1選挙区)
1913年3月4日 - 1927年3月4日
次代
ウィリアム・ヴォーリス・グレゴリー
党職
先代
ジョセフ・テイラー・ロビンソン
アメリカ合衆国の旗 民主党上院院内総務
1937年7月22日 - 1949年1月3日
次代
スコット・W・ルーカス
先代
ハリー・S・トルーマン
アメリカ合衆国の旗 民主党副大統領候補
1948年11月
次代
ジョン・スパークマン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国副大統領
※ 名前の後ろの年号は就任年を表す
  1. アダムズ 1789年
  2. ジェファーソン 1797年
  3. バー 1801年
  4. クリントン 1805年
  5. ゲリー 1813年
  6. トンプキンズ 1817年
  7. カルフーン 1825年
  8. ヴァン・ビューレン 1833年
  9. R・ジョンソン 1837年
  10. タイラー 1841年
  11. ダラス 1845年
  12. フィルモア 1849年
  13. キング 1853年
  14. ブレッキンリッジ 1857年
  15. ハムリン 1861年
  16. A・ジョンソン 1865年
  17. コルファクス 1869年
  18. ウィルソン 1873年
  19. ウィーラー 1877年
  20. アーサー 1881年
  21. ヘンドリックス 1885年
  22. モートン 1889年
  23. スティーブンソン 1893年
  24. ホーバート 1897年
  25. ルーズベルト 1901年
  26. フェアバンクス 1905年
  27. シャーマン 1909年
  28. マーシャル 1913年
  29. クーリッジ 1921年
  30. ドーズ 1925年
  31. カーティス 1929年
  32. ガーナー 1933年
  33. ウォレス 1941年
  34. トルーマン 1945年
  35. バークリー 1949年
  36. ニクソン 1953年
  37. L・ジョンソン 1961年
  38. ハンフリー 1965年
  39. アグニュー 1969年
  40. フォード 1973年連邦議会による承認
  41. ロックフェラー 1974年連邦議会による承認
  42. モンデール 1977年
  43. G・H・W・ブッシュ 1981年
  44. クエール 1989年
  45. ゴア 1993年
  46. チェイニー 2001年
  47. バイデン 2009年
  48. ペンス 2017年
  49. ハリス 2021年
関連項目 : アメリカ合衆国副大統領 - アメリカ合衆国の歴史 - ホワイトハウス - アメリカ合衆国大統領 - アメリカ合衆国次期副大統領
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