オーガスタ・ソフィア・オブ・ザ・ユナイテッド・キングダム
オーガスタ・ソフィア Augusta Sophia | |
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ハノーヴァー家 | |
出生 | (1768-11-08) 1768年11月8日 グレートブリテン王国、バッキンガム宮殿 |
死去 | (1840-09-22) 1840年9月22日(71歳没) イギリス、クラレンス・ハウス |
埋葬 | イギリス、ウィンザー城、聖ジョージ礼拝堂 |
父親 | グレートブリテン王ジョージ3世 |
母親 | シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ |
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オーガスタ・ソフィア・オブ・ザ・ユナイテッド・キングダム(Augusta Sophia of the United Kingdom, 1768年11月8日 - 1840年9月22日)は、イギリス王女。
生涯
ジョージ3世と王妃シャーロットの第6子(次女)として、バッキンガム宮殿で生まれた[1]。子供たち(特に王女たち)を手元に置きたがる両親の意向のために、宮廷から離れて育てられた。
1785年、デンマーク王太子(のちのフレゼリク6世)がイギリス王女との結婚をジョージ3世に打診してきた。当時結婚年齢に達していたのは、プリンセス・ロイヤルであるシャーロットとオーガスタであった。しかしジョージ3世は、妹キャロライン・マティルダ王女がデンマークで受けたひどい処遇を考えると、自分の娘たちは決してデンマークへ嫁がせないと決めた。母であるシャーロット王妃が多産であったために、その王女たちは外国王族から望まれる結婚相手であったが、ジョージ3世は娘たちの結婚に消極的であった。
1840年、オーガスタは未婚のままクラレンス・ハウスで死去し、ウィンザーに埋葬された[1]。
脚注
- ^ a b Weir, p. 289
参考文献
- Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.