グレッグ・マダックス

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グレッグ・マダックス
Greg Maddux
2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州サンアンジェロ
生年月日 (1966-04-14) 1966年4月14日(58歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 ドラフト2巡目(全体31位)でシカゴ・カブスから指名
初出場 1986年9月3日
最終出場 2008年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者
選出年 2014年
得票率 97.2%
選出方法 BBWAA選出
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

グレゴリー・アラン・マダックスGregory Alan Maddux, 1966年4月14日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州サンアンジェロ出身の元プロ野球選手投手)。ニックネームは「Mad Dog」、「The Professor」。現在はテキサス・レンジャーズGM補佐とスペシャルアシスタントを務める。右投右打。

5歳上の実兄マイク・マダックスも元投手で、2023年現在、テキサス・レンジャーズで投手コーチを務めている。

経歴

プロ入りまで

少年時代はアメリカ空軍のパイロットだった父の仕事の影響で、スペインマドリードで一時期を過ごした。帰国後はネバダ州ラスベガスに移住。現地の高校に通いながら、兄マイクと共に元メジャーリーグスカウトのラスティ・メーダーから投球術を教わった。彼は兄弟にコントロールとボールに変化を加えることが速いボールを投げることより重要であると教え、ピンチの時こそ思い切り投げ込むのではなく丁寧に投げるべきだと説いた。グレッグはすぐにこれを理解し、将来に渡ってこの教えを大切にした。

マイクは1982年MLBドラフトフィラデルフィア・フィリーズから5巡目に指名を受けて入団し、自身も大学に進んで野球を続けることを考えていたが、思ったほどのスポーツ奨学金の申し出を得ることができなかった。高校時代に投手として優秀な成績を残したものの、大学のスカウトは彼の華奢な体格に不安を感じていた。しかし、シカゴ・カブスのスカウトであるダグ・マプソンは彼の才能を見抜き、スカウティングレポートの中で「体さえ出来上がれば球界ナンバーワンになれる」と太鼓判を押した。

シカゴ・カブス

1984年のMLBドラフトでカブスから2巡目(全体31位)に指名を受け入団。1986年9月にセプテンバー・コールアップにより20歳の若さでメジャーに昇格し、9月3日のヒューストン・アストロズ戦でデビュー。シーズン最後の登板となった9月29日のフィリーズ戦では、同年デビューした兄マイクと史上初の新人兄弟同士の先発投手として投げ合い、勝利した。1987年はほぼ1年を通じてプレイしたが、6勝14敗、防御率5.61に終わる。1988年はディック・ポール投手コーチの助言もあって開幕から勝ち星を量産[1]。5月10日のサンディエゴ・パドレス戦では延長10回を完封[2]。5月22日から7月10日にかけて9連勝を記録するなど[3]前半戦で15勝3敗、防御率2.14を記録し、自身初のオールスターゲームに球団史上最年少で選出されたが、登板機会はなかった[3]。後半戦は3勝5敗、防御率4.92と調子を落としたが、18勝8敗、防御率3.18を記録した。

1989年はリーグ2位の19勝を記録し、チームの地区優勝に貢献。サンフランシスコ・ジャイアンツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦と第4戦に登板したが、第1戦でウィル・クラークに満塁本塁打を浴びるなど不本意な投球で2敗を喫し、チームも1勝4敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。1990年4月29日のフィリーズ戦でメジャー記録の1試合7刺殺を記録した[4]。初のゴールドグラブ賞を受賞し、以後18回受賞する。

1992年は20勝11敗、防御率2.18、リーグ最多の268.0イニングの成績でトム・グラビンと並んで最多勝利のタイトルを獲得し、サイ・ヤング賞を初受賞。シーズン中に総額2850万ドルで契約延長を打診されたが[5]拒否。オフの10月26日にフリーエージェントとなった。

アトランタ・ブレーブス

ニューヨーク・ヤンキースからは総額3400万ドルのオファーがあったが、ワールドシリーズ出場の機会を求め[6]、12月9日に5年総額2800万ドルでアトランタ・ブレーブスと契約[5]

移籍1年目の1993年は2年連続の20勝(10敗)、防御率2.36を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。22勝のグラビン、18勝のスティーブ・エイベリー、15勝のジョン・スモルツと強力な先発ローテーションを形成し、チームは104勝を挙げて球団最多勝記録を更新して地区優勝。フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦と第6戦の2試合に登板して1勝1敗[7]だったがチームは2勝4敗で敗退した。オフに2年連続のサイ・ヤング賞を受賞。

1994年は、1994年から1995年のMLBストライキの影響でシーズンが打ち切りとなったが16勝6敗、防御率1.56、いずれもリーグトップの202.0イニング、10完投、3完封、WHIP0.90を記録し、最多勝利(ケン・ヒルと同数)・最優秀防御率の二冠を獲得。防御率は1970年以降ではドワイト・グッデン1985年に記録した1.53に次いで2番目の記録である[8]。サイ・ヤング賞を満票で受賞し、史上初の3年連続受賞となった[8]

1995年5月28日のヒューストン・アストロズ戦の8回にジェフ・バグウェルに本塁打を打たれノーヒットノーランを逃す[9]。19勝2敗、防御率1.63を記録し、ウォルター・ジョンソン(1918年 - 1919年)以来となる2年連続で防御率1.70以下を記録[10]。勝率もフィル・リーガンが1936年に.9330を記録した後で最高の.905を記録した[11]。チームはワールドシリーズに進出し、レギュラーシーズン100勝のクリーブランド・インディアンスを破って自身初の、そして生涯唯一のワールドチャンピオンの栄冠を手にした。オフに4年連続4回目のサイ・ヤング賞を受賞し、2年連続の満票受賞はサンディ・コーファックス以来の快挙となった[10]

1996年5月3日のフィリーズ戦でベニート・サンティアゴにレギュラーシーズンでは初の満塁本塁打を喫した(ポストシーズンでは先述の通り、1989年のNLCSでクラークに打たれている)。15勝11敗、防御率2.72を記録し、球団史上初の先発投手として4年連続で防御率3.00未満を達成[12]1997年は7月22日のカブス戦では78球で完投勝利。8月10日に投手としては史上最高額となる5年総額5750万ドルで契約延長した[5]。19勝4敗、防御率2.20の成績でサイ・ヤング賞の投票ではペドロ・マルティネスに次ぐ2位だった[13]1998年8月18日のジャイアンツ戦で通算200勝、9月8日のエクスポズ戦で通算2000奪三振を達成した[14]。18勝9敗、防御率2.22、リーグ最多の5完封を記録。防御率は8月まで1点台を維持していたが、9月に調子を落とした[15]1999年はリーグ3位の19勝を記録したが、イニングを大きく上回るキャリアワーストの被安打258、防御率は3.57と前年より1点以上悪化して移籍後初の3点台となるなど、投球内容は良くなかった。

2000年は6月14日にジャック・モリスの持つ通算刺殺387の記録を更新[1]。9月2日から28日かけてオーレル・ハーシュハイザーが1988年に59回連続無失点を記録して以降では2番目に長い39.1イニング連続無失点を記録[16]2001年は5月終了時点で4勝5敗だったが、6月から10連勝を記録し、6月20日から8月12日にかけて72.1イニング無四球で連続無四球のリーグ記録を更新[5]。9月以降は4連敗で17勝11敗の成績でシーズンを終えた。2002年は16勝を記録し、サイ・ヤングに次いで史上2人目の15年連続15勝を達成したが199.1イニングに終わり、1988年以来14年続いた200イニングが途切れた。5年契約が満了した2003年は1475万ドルで1年契約を結ぶ。開幕から3試合で3敗、防御率11.05と絶不調だったが徐々に調子を上げ、最終的に16勝11敗、防御率3.96を記録し、史上初めて16年連続15勝を達成した。同年のゴールドグラブ賞はマイク・ハンプトンが受賞し連続受賞が13年で途切れた。オフの10月29日にフリーエージェントとなった。

カブス復帰 - ドジャースにトレード

マダックスのピッチング(2006年)

2004年3月23日に古巣カブスと3年総額2400万ドルで契約した[17]。8月7日のジャイアンツ戦で史上22人目の300勝を達成。16勝を記録し17年連続15勝以上を達成。2005年4月29日のアストロズ戦ではロジャー・クレメンスと対戦し、リーグでは113年ぶりとなる300勝投手同士の対戦となり、勝利した[5]。7月26日のジャイアンツ戦で史上13人目の通算3000奪三振を達成。300勝&3000奪三振は史上9人目の快挙である。また1000四球以下での3000奪三振はファーガソン・ジェンキンスに次いで2人目の快挙である[18]。13勝15敗で18年ぶりに負け越し、連続15勝以上の記録も17年で途切れた。

ブルペンでウォーミングアップ中のマダックス

2006年は4月に5勝0敗、防御率1.35を記録したものの、5月から7月の間は4勝11敗、防御率5点台と不振に陥る。7月31日にシーザー・イズトゥリスとの交換トレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。8月に3勝0敗、防御率2.37を記録するなど復調。9月30日は中3日で先発登板し、7回を投げ3安打2失点で勝利投手となった。7月末の時点でチームは地区最下位だったが、マダックス加入が投手陣安定の最大の要因となり、8月は21勝7敗、9月は16勝12敗の好成績でワイルドカードでプレイオフ進出の原動力となった[19]。10月31日にFAとなった。

サンディエゴ・パドレス

2006年12月13日にサンディエゴ・パドレスと1000万ドル(2008年はマダックス、球団双方にオプション)の1年契約を結んだ[20]

2007年8月24日のフィリーズ戦で10勝目を挙げ、史上初の20年連続2桁勝利を達成。7月28日から9月19日にかけて59.2イニング連続無四球を記録。これは2001年の72.1イニングに次いで自身2位、球団史上ランディ・ジョーンズの68イニング(1976年)に次いで歴代2位の記録だった[21]。オフにジム・カートブルックス・ロビンソンを上回る史上最多17回目のゴールドグラブ賞を受賞し[21]、11月19日に球団が1000万ドルのオプションを行使し、残留が決まった。本人によると残留以外の選択肢は引退で、同年は楽しく過ごせ、引退する気になれなかったという[22]2008年5月10日のコロラド・ロッキーズ戦で史上9人目の通算350勝を達成。

ドジャース復帰、現役引退

2008年8月19日に後日発表の2選手プラス金銭との交換トレードでドジャースに復帰[23]。9月28日のジャイアンツ戦で通算355勝目を挙げ、通算勝利数において歴代単独8位となった。第二次世界大戦以降の投手としてはウォーレン・スパーンの363勝に次ぐ記録であり、戦後生まれとしてはクレメンスを抜き最多勝利投手である。同年は8勝13敗に終わり、連続2桁勝利は20年で途切れた。10月30日にFAとなり、12月5日に現役引退を表明。マイナーでも36勝しており、生涯での勝ち星は391勝にも達した。

引退後

マダックスのカブス在籍時の背番号「31」。
シカゴ・カブスの永久欠番2009年指定。
マダックスのブレーブス在籍時の背番号「31」。
アトランタ・ブレーブスの永久欠番2009年指定。

2009年3月18日にカブスは5月3日からマダックスの在籍時の背番号31』を、マダックス以前に同じく『31』をつけたファーガソン・ジェンキンスと連名で永久欠番に指定することを発表[24]、4月5日に11年間在籍したブレーブスも7月17日からマダックスの在籍時の背番号『31』を永久欠番に指定することを発表した。

2010年1月11日にカブスのGM補佐に就任[25]2011年11月29日にカブスを離れ、レンジャーズのGM特別補佐に就任した[26]

2013年第3回WBCアメリカ合衆国代表の投手コーチを務めた。

2014年1月8日に資格取得1年目でブレーブス時代の僚友トム・グラビンと共に野球殿堂入り。得票率97.2%は歴代7位だった。レリーフには球団ロゴなしでの殿堂入りである[27]

選手としての特徴

投球スタイル

MLBの先発投手の中でも球速が遅く、キャリア初期に93mph(約150km/h)に達する程度であり、その後は選手生活を通じて下がり続け、最終的には86mph(約138km/h)を下回っていた[28][29]

一方で、代名詞ともいえるシンキング・ファストボールツーシーム系の沈む球)とサークルチェンジ、他にカットボールやスライダー、カーブを織り交ぜて投球のほぼ全てを打者の手元で微妙に動かし、打者のタイミングを外したり、バットの芯を外すピッチングが信条[30]グラウンドボールピッチャーである。抜群の制球力から『精密機械』と称され[31]、ここぞというときにはフォーシームのきれいな速球やチェンジアップを際どいコースへ投げ込み三振も狙って取れる。

また、打者の心理の虚をつく頭脳的な投球スタイルや、普段は眼鏡をかけていた(後年、視力を矯正)ことから、「プロフェッサー(教授)」なるニックネームが定着している。柔和な容貌とは裏腹に闘争本能が強く、ブレーブス在籍時にチームメイトからは名前の響きからとって「マッド・ドッグ(狂犬)」と呼ばれた[30]

その頭脳を示すエピソードとして、2013年第3回WBCアメリカ合衆国代表の投手コーチを務めた時のこと。プエルトリコ戦で1点ビハインドの9回にクレイグ・キンブレルが登板した所、2死2塁となり次打者がカルロス・ベルトランであったため、ベルトランと勝負するか次打者のヤディアー・モリーナと勝負するか、マウンドに確認に向かった。マダックスが「どうする?」と尋ねるとキンブレルは「ベルトランと勝負させてください」と答えたので、「わかった。2球高めに速球を叩き込め。内野フライにしとめられる」と伝えた。キンブレルが指示通り速球を高めに投げたところ、打球はショートへのフライになった。キンブレルは「やっぱりあの人はただ者じゃない」と思ったという[32]

通算与四球率(9イニング当たりの与四球数)は1.80。シーズン与四球率でリーグトップに9度なっている。特に1997年は0.77で、2位に0.5以上の差をつけるなど数々の制球力の良さを示す記録を持つ。

マダックスの象徴的な持論として、投手にとって一番過大評価されている記録は奪三振であり、27個のアウトを27球で取るのがベストというものがある[6]。実際、奪三振率(K/9)は最も高かった1995年でも7.77、多くのシーズンは7を切る水準だった。また、打者との勝負よりも試合全体の勝敗を重視しており、故意四球数は通算177でケント・テカルヴの179に次ぐ歴代2位である[33]

100球未満で完封することは「マダックス」と呼ばれる[34][35][36]。マダックス本人は13度、達成している。

守備力

史上最多の18回のゴールドグラブ賞に輝き、卓越した守備能力も特筆されるべき彼の特徴である。ただし、走者に対するクイックや牽制などに対しては、打者に対する投球術とは裏腹に、無関心と呼べるほど注意を払わない。これは「盗塁を許しても、点に結びつくケースは17%に過ぎない」(本人談)という統計的事実から来るものである(具体的な根拠はマダックス本人も話していないため、不明である)。

しかし、盗塁に無関心な姿勢をイチローに利用されてしまったこともある。ブレーブス時代の2003年6月15日、マリナーズとのインターリーグのことである。初回に先頭のイチローに内野安打を許し二盗された後、悪送球で三塁へ進まれ適時打で1点。 3回の打席でも内野安打を許した後、二盗、三盗と連続で盗塁され、内野ゴロの間に1点を取られ、結果的に2-1でマダックスは敗戦投手となってしまった[37]。試合後に記者の「打ち取っていれば、たとえそれがヒットになっても、打たれたという気はしないものか?」という質問に対し、「あれで気分が良くなったと思うか? 冗談じゃない! そんな風に考えられるはずはないじゃないか」と返したという[38][リンク切れ]

ゴールドグラブ賞は監督やコーチの投票で選ばれるため、連続受賞選手の中には、守備力が落ちているのに名前やイメージで選ばれるケースが少なくない[39]。しかし2007年のマダックスの補殺数はリーグトップの51で、40歳を過ぎても優れた守備力を誇っていたことの証明である。平均的な投手の補殺数は15から20程度と言われており、平均的な守備力しか持ち合わせていなければ2007年の防御率(4.14)は5点台であったと推測され、自身の投手成績に守備力は大きく影響している[39]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1986 CHC 6 5 1 0 0 2 4 0 -- .333 144 31.0 44 3 11 2 1 20 2 0 20 19 5.52 1.77
1987 30 27 1 1 0 6 14 0 -- .300 701 155.2 181 17 74 13 4 101 4 7 111 97 5.61 1.64
1988 34 34 9 3 1 18 8 0 -- .692 1047 249.0 230 13 81 16 9 140 3 6 97 88 3.18 1.25
1989 35 35 7 1 0 19 12 0 -- .613 1002 238.1 222 13 82 13 6 135 5 3 90 78 2.95 1.28
1990 35 35 8 2 1 15 15 0 -- .500 1011 237.0 242 11 71 10 4 144 3 3 116 91 3.46 1.32
1991 37 37 7 2 3 15 11 0 -- .577 1070 263.0 232 18 66 9 6 198 6 3 113 98 3.35 1.13
1992 35 35 9 4 0 20 11 0 -- .645 1061 268.0 201 7 70 7 14 199 5 0 68 65 2.18 1.01
1993 ATL 36 36 8 1 2 20 10 0 -- .667 1064 267.0 228 14 52 7 6 197 5 1 85 70 2.36 1.05
1994 25 25 10 3 6 16 6 0 -- .727 774 202.0 150 4 31 3 6 156 3 1 44 35 1.56 0.90
1995 28 28 10 3 6 19 2 0 -- .905 785 209.2 147 8 23 3 4 181 1 0 39 38 1.63 0.81
1996 35 35 5 1 2 15 11 0 -- .577 978 245.0 225 11 28 11 3 172 4 0 85 74 2.72 1.03
1997 33 33 5 2 4 19 4 0 -- .826 893 232.2 200 9 20 6 6 177 0 0 58 57 2.20 0.95
1998 34 34 9 5 4 18 9 0 -- .667 987 251.0 201 13 45 10 7 204 4 0 75 62 2.22 0.98
1999 33 33 4 0 1 19 9 0 0 .679 940 219.1 258 16 37 8 4 136 1 0 103 87 3.57 1.34
2000 35 35 6 3 1 19 9 0 0 .679 1012 249.1 225 19 42 12 10 190 1 2 91 83 3.00 1.07
2001 34 34 3 3 1 17 11 0 0 .607 927 233.0 220 20 27 10 7 173 2 0 86 79 3.05 1.06
2002 34 34 0 0 0 16 6 0 0 .727 820 199.1 194 14 45 7 4 118 1 0 67 58 2.62 1.20
2003 36 36 1 0 0 16 11 0 0 .593 901 218.1 225 24 33 7 8 124 3 0 112 96 3.96 1.18
2004 CHC 33 33 2 1 2 16 11 0 0 .593 872 212.2 218 35 33 4 9 151 2 0 103 95 4.02 1.18
2005 35 35 3 0 1 13 15 0 0 .464 936 225.0 239 29 36 4 7 136 8 0 112 106 4.24 1.22
2006 22 22 0 0 0 9 11 0 0 .450 572 136.1 153 14 23 3 0 81 0 0 78 71 4.69 1.29
LAD 12 12 0 0 0 6 3 0 0 .667 290 73.2 66 6 14 4 0 36 0 0 31 27 3.30 1.09
'06計 34 34 0 0 0 15 14 0 0 .517 862 210.0 219 20 37 7 0 117 0 0 109 98 4.20 1.22
2007 SD 34 34 1 0 1 14 11 0 0 .560 830 198.0 221 14 25 3 6 104 5 0 92 91 4.14 1.24
2008 26 26 0 0 0 6 9 0 0 .400 638 153.1 161 16 26 4 5 80 2 2 80 68 3.99 1.22
LAD 7 7 0 0 0 2 4 0 0 .333 166 40.2 43 5 4 1 1 18 0 0 25 23 5.09 1.16
'08計 33 33 0 0 0 8 13 0 0 .381 804 194.0 204 21 30 5 6 98 2 2 105 91 4.22 1.21
MLB:23年 744 740 109 35 36 355 227 0 0 .610 20421 5008.1 4726 353 999 177 137 3371 70 28 1981 1756 3.16 1.14
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












1986 CHC 6 1 6 1 0 .875
1987 30 16 50 4 7 .943
1988 34 28 45 3 3 .961
1989 35 35 41 3 4 .976
1990 35 39 55 0 6 1.000
1991 37 39 50 2 5 .978
1992 35 30 64 3 1 .969
1993 ATL 36 39 59 7 5 .933
1994 25 20 38 4 4 .935
1995 28 18 53 0 3 1.000
1996 35 37 71 1 6 .991
1997 33 16 49 3 3 .956
1998 34 31 63 4 5 .959
1999 33 29 58 4 3 .956
2000 35 25 68 2 5 .979
2001 34 19 54 1 3 .986
2002 34 21 48 1 3 .986
2003 36 13 58 2 5 .973
2004 CHC 33 21 55 1 3 .987
2005 35 19 49 3 6 .958
2006 22 8 35 0 3 1.000
LAD 12 6 17 0 6 1.000
'06計 34 14 52 0 9 1.000
2007 SD 34 19 51 1 5 .986
2008 26 13 45 2 3 .967
LAD 7 4 12 1 1 .941
'08計 33 17 57 3 4 .961
MLB 744 546 1194 53 98 .970
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 赤文字はMLBの投手における歴代最高
  • 各年度の太字年ゴールドグラブ賞受賞

タイトル

  • 最多勝利:3回(1992年、1994年、1995年)
  • 最優秀防御率:4回(1993年 - 1995年、1998年)

表彰

記録

背番号

脚注

注釈

出典

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  2. ^ July Greg Maddux 1988 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference PI 2008年1月10日閲覧.
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  20. ^ “Padres sign right-handed pitcher Greg Maddux”. MLB.com Padres Press Release (2006年12月13日). 2014年3月2日閲覧。
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  32. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2014』廣済堂出版、2014年、264頁頁。ISBN 978-4-331-51809-0。 
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  34. ^ 田中将大が達成した「マダックス」とは? 米メディアが稀少な記録を特集
  35. ^ マー君“マダックス”中7日でコーチと修正したこと
  36. ^ マダックスとは? 100球未満完封13度大投手
  37. ^ http://www.baseball-reference.com/boxes/SEA/SEA200306150.shtml
  38. ^ http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200306/0630kimo_02.html
  39. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、426頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。 

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、グレッグ・マダックスに関連するカテゴリがあります。
  • Baseballhalloffame.org(英語)アメリカ野球殿堂National Baseball Hall of Fame)による紹介
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • greg maddux (@gregmaddux) - X(旧Twitter)
 
業績
1956年-1966年
1967年-1969年
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1966年まではアメリカンリーグと合わせて1人だけ選出。このテンプレートではナショナルリーグの選手のみを表記。
ナショナルリーグ最優秀防御率
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ最多勝投手
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
  • 58 ハービー・ハディックス(英語版)
  • 59 ハービー・ハディックス(英語版)
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
  • 90 グレッグ・マダックス
  • 91 グレッグ・マダックス
  • 92 グレッグ・マダックス
  • 93 グレッグ・マダックス
  • 94 グレッグ・マダックス
  • 95 グレッグ・マダックス
  • 96 グレッグ・マダックス
  • 97 グレッグ・マダックス
  • 98 グレッグ・マダックス
  • 99 グレッグ・マダックス
2000年代
  • 00 グレッグ・マダックス
  • 01 グレッグ・マダックス
  • 02 グレッグ・マダックス
  • 03 マイク・ハンプトン
  • 04 グレッグ・マダックス
  • 05 グレッグ・マダックス
  • 06 グレッグ・マダックス
  • 07 グレッグ・マダックス
  • 08 グレッグ・マダックス
  • 09 アダム・ウェインライト
2010年代
2020年代
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
シカゴ・カブス開幕投手
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 クラーク・グリフィス
  • 01 ジャック・テイラー
  • 02 ジャック・テイラー
  • 03 ジャック・テイラー
  • 04 ジェイク・ウェイマー
  • 05 カール・ラングレン
  • 06 カール・ラングレン
  • 07 オーバル・オーバーロール
  • 08 オーバル・オーバーロール
  • 09 オーバル・オーバーロール
1910年代
1920年代
1930年代
  • 30 シェリフ・ブレイク
  • 31 チャーリー・ルート
  • 32 チャーリー・ルート
  • 33 ロン・ワーネク
  • 34 ロン・ワーネク
  • 35 ロン・ワーネク
  • 36 ロン・ワーネク
  • 37 ラリー・フレンチ
  • 38 クレイ・ブライアント
  • 39 ビル・リー
1940年代
  • 40 ビル・リー
  • 41 クロード・パッソー
  • 42 クロード・パッソー
  • 43 ポール・デリンジャー
  • 44 ハンク・ワイズ
  • 45 ポール・デリンジャー
  • 46 クロード・パッソー
  • 47 ハンク・ボローウィー
  • 48 ラス・メイヤー
  • 49 ダッチ・レナード
1950年代
  • 50 ジョニー・シュミッツ
  • 51 フランク・ヒラー
  • 52 ポール・ミナー
  • 53 ボブ・ラッシュ
  • 54 ポール・ミナー
  • 55 ボブ・ラッシュ
  • 56 ボブ・ラッシュ
  • 57 ボブ・ラッシュ
  • 58 ジム・ブロスナン
  • 59 ボブ・アンダーソン
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
アトランタ・ブレーブス開幕投手
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
  • 10 アル・マターン
  • 11 バスター・ブラウン
  • 12 ハブ・パーデュー
  • 13 ハブ・パーデュー
  • 14 レフティ・タイラー
  • 15 ディック・ルドルフ
  • 16 ディック・ルドルフ
  • 17 ディック・ルドルフ
  • 18 パット・ラガン
  • 19 ディック・ルドルフ
1920年代
  • 20 エディー・イーアー
  • 21 ジョー・オシュガー
  • 22 ジョー・オシュガー
  • 23 ティム・マクナマラ
  • 24 ジョー・ジェネウィッチ
  • 25 ジェシー・バーンズ
  • 26 ジョー・ジェネウィッチ
  • 27 ボブ・スミス
  • 28 ボブ・スミス
  • 29 ボブ・スミス
1930年代
  • 30 ソックス・サイボルト
  • 31 トム・ザカリー
  • 32 エド・ブラント
  • 33 ハック・ベッツ
  • 34 エド・ブラント
  • 35 エド・ブラント
  • 36 ダニー・マクフェイデン
  • 37 ガイ・ブッシュ
  • 38 ダニー・マクフェイデン
  • 39 ジム・ターナー
1940年代
  • 40 ビル・ポーズデル
  • 41 ディック・エリックソン
  • 42 アル・ハバリー
  • 43 アル・ハバリー
  • 44 アル・ハバリー
  • 45 アル・ハバリー
  • 46 ジョニー・セイン
  • 47 ジョニー・セイン
  • 48 ジョニー・セイン
  • 49 ジョニー・セイン
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
シカゴ・カブス
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ワールドシリーズ優勝(03回)
ワールドシリーズ敗退(08回)
リーグ優勝(17回)
できごと
傘下マイナーチーム
アトランタ・ブレーブス
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ブレーブス球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(04回)
ワールドシリーズ敗退(06回)
リーグ優勝(18回)
できごと
傘下マイナーチーム
アトランタ・ブレーブス 1995年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
02 ラファエル・ベリアード
07 ドワイト・スミス
08 ハビー・ロペス
09 マーキス・グリッソム
10 チッパー・ジョーンズ
11 チャーリー・オブライエン
16 マイク・モーデカイ
17 ルイス・ポローニャ
18 ライアン・クレスコ
20 マーク・レムキー
23 デビッド・ジャスティス

24 マイク・デベロー
26 アレハンドロ・ペーニャ
27 フレッド・マグリフ
29 ジョン・スモルツ
31 グレッグ・マダックス
33 スティーブ・エイベリー
38 グレッグ・マクマイケル
43 マーク・ウォーラーズ
47 トム・グラビンシリーズMVP
50 ケント・マーカー
51 ペドロ・ボーボン・ジュニア
52 ブラッド・クロンツ

監督
06 ボビー・コックス

コーチ
22 ジミー・ウィリアムズ(三塁)
28 クラレンス・ジョーンズ(打撃)
37 ジム・ビーチャム(ベンチ)
39 パット・コラレス(一塁)
52 ネッド・ヨスト(ブルペン)
54 レオ・マゾーニー(投手)
59 フランク・フルツ(ストレングス)

アメリカ合衆国の旗 野球アメリカ合衆国代表 - 2013 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
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  • ISNI
  • VIAF
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  • イスラエル
  • アメリカ
その他
  • SNAC