ジュリアン・レノン

ジュリアン・レノン
Julian Lennon
2018年4月ニューヨークにて
基本情報
出生名 John Charles Julian Lennon
生誕 (1963-04-08) 1963年4月8日(61歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドリヴァプール
ジャンル ロック
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
作家
音楽プロデューサー
写真家
俳優
担当楽器 ギター
ボーカル
ベース
バンジョー
ピアノ
ドラムス
ハーモニカ
活動期間 1984年 -
レーベル カリスマ・レコード
ヴァージン・レコード
アトランティック・レコード
公式サイト julianlennon.com

ジョン・チャールズ・ジュリアン・レノン(John Charles Julian Lennon、1963年4月8日 - )は、イギリスミュージシャン

生い立ち

2010年10月9日にリヴァプールのジョン・レノン・ピース・モニュメントで催されたジョン・レノン生誕70周年記念セレモニーに出席するジュリアンと母シンシア(左)

ビートルズジョン・レノンと最初の妻シンシア・レノンの長男として出生。ジョンの母で、祖母のジュリア・スタンリーに因み「ジュリアン」と命名される。シンシアの妊娠を知り責任を取るためにジョンは結婚したが、この時期のジョンは多忙を極めたこともあり家庭を顧みず、1968年に前衛芸術家である日本人オノ・ヨーコと恋に落ちて、ジュリアンが5歳のときにジョンとシンシアは離婚して、ジュリアンは母の元で育った。

1970年代初頭まで父親との接触は全くなかったが、ジョンとヨーコの別居中に、ジョンと当時の愛人のメイ・パンに面会し、その後何度かはジョンとヨーコ、ショーンの新しい家庭にも遊びに行くようになった。

母シンシアの著書『ジョン・レノンに恋して』の序文においてジュリアンは以下の記述をしている -「僕が5歳のときに両親が離婚したあと、父には数えるほどしか会っていない。そして実際に会ったその貴重な時間のなかでも、目の前の父の心は遠く離れていて、僕を怯えさせることの方が多かった。……父の人生のなかでは、僕は取るに足らない存在で、拒絶されているようにすら感じていた」。一方、ジョンとヨーコの間の息子で、ジュリアンの異母弟でもあるショーンとは、幼少の頃から共に遊び、現在に至るまで親密な関係を保っている。

その一方で、ジュリアンはジョンの遺産相続人からは外されていた。もっとも彼向けの信託基金は作られていたが、ジュリアンには渡らず、遺産を管理するヨーコが支払いに同意したのは1996年になってからであった[1][2]

両親が険悪である時期にポール・マッカートニーがジュリアン(5歳)を励ますため「ヘイ・ジュード」を作ったと言われている。「ヘイ・ジュード」のレコーディング用楽譜類譜がロンドン1996年オークションに掛けられた際「ポールが僕のために作ってくれた曲だから」とジュリアンが2万5千ポンドで落札している。

音楽活動

父・ジョンに影響されてか、音楽活動にも興味を持ち始めたジュリアンは、ジョンの1974年のアルバム『心の壁、愛の橋』に収録の「ヤ・ヤ」ではドラムを叩いている。1984年ビリー・ジョエルなどを手がけたことで知られるフィル・ラモーンがプロデュースした『ヴァロッテ』でレコード・デビュー。チャートでもかなりの成功を収め「トゥー・レイト・フォー・グッドバイ」(1984年)「ソルトウォーター」(1991年)などの全米、全英トップテンの大ヒット曲を生んだ。1993年、日本のアニメーション映画『遠い海から来たCOO』にメインテーマ「CHILDREN OF THE WORLD」を提供。

ディスコグラフィ

アルバム

シングル

  • 1984 "Valotte" 全米#7、メインストリームロックチャート全米#6、全英#55
  • 1985 『Too Late For Goodbyes』 全米#5、メインストリームチャート全米#11、ホットアダルトコンテンポラリーチャート全米#1(2週)、全英#6(『ヴァロッテ』)
  • 1985 『Say You're Wrong』 全米#21、メインストリームロックチャート全米#18、全英#75(『ヴァロッテ』)
  • 1985 『Because』 全英#40(Dave Clark's Time Soundtrack)
  • 1985 『Jesse』全米#54、全英#24(『ヴァロッテ』)
  • 1986 『Stick Around』全米#32、メインストリームロックチャート全米#1(2 weeks)、全英#86(『デイドリーミング』)
  • 1989 『Now You're in Heaven』全米#93、モダンロックチャート全米#27、メインストリームロックチャート全米#1(1 week)、全英#59(『イン・ヘヴン』)
  • 1991 『ソルト・ウォーター』 全英#6、オーストラリア#1(4週間)(『ヘルプ・ユアセルフ』)
  • 1991 『Help Yourself』全英#53(『ヘルプ・ユアセルフ
  • 1992 『Get A Life』 全英#56(『ヘルプ・ユアセルフ
  • 1995 『Cole's Song』(Mr. Holland's Opus Soundtrack)
  • 1998 『Day After Day』 全英#66(『フォトグラフ・スマイル
  • 2009 『Lucy』

CM

脚注

  1. ^ 消えたジョン・レノンの遺書、そして、遺産の意味
  2. ^ Trial & Heirs

関連項目

外部リンク

  • Julian's official website
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シングル
生前
1969年 (1969)
1970年 (1970)
1971年 (1971)
1972年 (1972)
1973年 (1973)
  • マインド・ゲームス / "Meat City"
1974年 (1974)
1975年 (1975)
1977年 (1977)
1980年 (1980)
死後
1981年 (1981)
1982年 (1982)
1984年 (1984)
1985年 (1985)
1986年 (1986)
  • "Rock and Roll People" (promo)
1998年 (1998)
  • "I'm Losing You" (promo)
アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
未発表音源集
ボックス・セット
映像作品
関連項目
関連人物
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