ジョヴァンニ・ヴィオーラ

ジョヴァンニ・ヴィオーラ
名前
ラテン文字 Giovanni Viola
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1926-06-20) 1926年6月20日
出身地 サン・ベニーニョ・カナヴェーゼ
没年月日 (2008-07-07) 2008年7月7日(82歳没)
身長 179cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1945-1958 イタリアの旗 ユヴェントス 244 (0)
1946-1947 イタリアの旗 カッラレーゼ (loan) 33 (0)
1947-1948 イタリアの旗 コモ (loan) 33 (0)
1948-1949 イタリアの旗 ルッケーゼ (loan) 33 (0)
1958-1959 イタリアの旗 ブレシア 27 (0)
代表歴
1954-1956 イタリアの旗 イタリア 11 (0)
監督歴
1965-1966 イタリアの旗 ピネローロ(英語版)
1968-1969 イタリアの旗 アオスタ(英語版)
1969-1970 イタリアの旗 バルレッタ
1970-1971 イタリアの旗 ヴィジェーヴァノ(英語版)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ジョヴァンニ・ヴィオーラGiovanni Viola, 1926年6月20日 - 2008年7月7日)は、イタリアサン・ベニーニョ・カナヴェーゼ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはゴールキーパー。

経歴

クラブ

ルチーディオ・センティメンティ(英語版)の後継者として、レンタル移籍から帰還した1949年からユヴェントスの守護神を務め、1958年に退団するまで3度のスクデットを獲得した[1]。その後にセリエBのブレシアに移籍し、そこで現役生活を終えた[2]

代表

イタリア代表の一員として1954年のFIFAワールドカップスイス大会に参戦。グループステージの全2試合ではジョルジョ・ゲッツィがGKを務めたが、続く決勝トーナメント進出をかけたプレーオフのスイス代表戦では代わってヴィオーラがゴールマウスを守った[3]。この試合がイタリア代表としてのデビュー戦であったが、1-4の敗北を喫し大会を終えることとなった[2]

現役引退後

2008年7月7日、82歳で死去した[1]

タイトル

ユヴェントス
  • セリエA:1949-50, 1951-52, 1957-58

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “CALCIO, JUVENTUS: MUORE A 82 ANNI L'EX PORTIERE GIOVANNI VIOLA” (イタリア語). La Repubblica (2008年7月7日). 2022年12月31日閲覧。
  2. ^ a b “Gli eroi in bianconero: Giovanni VIOLA” (イタリア語). Tutto Juve (2016年6月20日). 2022年12月31日閲覧。
  3. ^ “1954 FIFA World Cup Switzerland™ Switzerland - Italy” (英語). FIFA. 2022年12月31日閲覧。

外部リンク

  • ジョヴァンニ・ヴィオーラ - Soccerwayによる個人成績
  • transfermarkt
イタリア代表 - 1954 FIFAワールドカップ
  • 1 ゲッツィ
  • 2 ヴィンチェンツィ
  • 3 ジャコマッツィ
  • 4 ネーリ
  • 5 トニョン
  • 6 ネスティ
  • 7 ムッチネッリ
  • 8 パンドルフィーニ
  • 9 ガッリ
  • 10 カッペッロ
  • 11 ロレンツィ
  • 12 ヴィオーラ
  • 13 マニーニ
  • 14 チェルヴァート
  • 15 マーリ
  • 16 フェッラーリオ
  • 17 セガート
  • 18 ピヴァテッリ
  • 19 ボニペルティ
  • 20 グラットン
  • 21 フリニャーニ
  • 22 コスタリョーラ
  • 監督 ツェイズレル
イタリアの旗