トルコのキプロス侵攻

曖昧さ回避 この項目では、1974年のトルコ共和国によるキプロス島キプロス共和国)への侵攻について説明しています。
  • 1570年のオスマン帝国によるキプロス島(ヴェネツィアキプロス(英語版))への侵攻については「[[第4次オスマン・ヴェネツィア戦争(英語版)]]」をご覧ください。
トルコのキプロス侵攻

1973年時点でのキプロス島の民族分布図。黄色がギリシャ系優位、紫色がトルコ系優位の地域。赤はイギリス軍基地主権領域
戦争キプロス紛争
年月日1974年7月20日 - 8月18日
場所キプロス島キプロス共和国
結果:トルコの決定的勝利。
  • 7月23日、キプロスのクーデター(英語版)政権崩壊。
  • 翌24日、クーデターを後押ししたギリシャ軍事政権も崩壊。
  • トルコ軍はキプロス島の北部を占領。同地域へトルコ系キプロス人が脱出。
  • 同時にギリシャ系キプロス人も、トルコ軍占領地域からキプロス共和国領の南部へ脱出。
  • 8月18日の停戦後、停戦ラインに沿って国際連合キプロス平和維持軍がグリーンラインを設置。
  • 10月1日、トルコ軍占領地域にトルコ系キプロス人自治政府(トルコ語版、英語版)を設立。1975年10月13日にキプロス連邦トルコ人共和国設立。
交戦勢力

  • トルコの旗 トルコ
  • トルコの旗 トルコ人抵抗組織(トルコ語版、英語版)

指導者・指揮官


  • ニコス・サンプソン(ギリシア語版、英語版)(臨時大統領)
  • キプロスの旗グラフコス・クレリデス(ギリシア語版、英語版)(代議員議長、サンプソン辞職後の大統領代行)
  • ディミトリオス・イオアニディス(ギリシア語版、英語版)(軍事治安警察(ギリシア語版、英語版)長官・事実上の最高権力者)
  • フェドン・キジキス(大統領)
  • アダマンティオス・アンドルツォプロス(ギリシア語版、英語版)(首相)
Template:Campaignbox トルコのキプロス侵攻
  • 表示

トルコのキプロス侵攻(トルコのキプロスしんこう、Turkish invasion of Cyprus)は、1974年7月15日キプロスのクーデター(英語版)直後の1974年7月20日に開始された。

トルコ側の作戦名はアティッラー作戦トルコ語: Atilla Harekât)である。

概要

クーデターは、ギリシャ軍事政権により指令を受けたキプロス国家守備隊がEOKA Bと共同で実行した。キプロス大統領のマカリオス3世大主教が解任され、ニコス・サンプソンが大統領に任命された。クーデターの目的は、キプロスとギリシアの連合(Enosis)であり、キプロス・ギリシャ共和国(Hellenic Republic of Cyprus)設立の宣言であった。

1974年7月、トルコ軍は停戦が宣言される前に、島の3%に侵攻、占領した。ギリシャ軍事政権は崩壊し、民政となった。1974年8月、再度のトルコの侵攻により、島の約36%が占領された。1974年8月からの停戦ラインは、キプロスの国連緩衝地帯となり、一般的にグリーンラインと呼ばれている。

約150,000人(キプロス総人口の4分の1以上、ギリシャ系キプロス人人口の3分の1に相当)が、ギリシャ系キプロス人が人口の80%を占めていた島北部より追放された。1975年には、およそ60,000人のトルコ系キプロス人(トルコ系キプロス人の人口の半分)が、南から北に移った。トルコのキプロス侵攻の結果、国連が監視するグリーンラインに沿って、キプロスが分割された。グリーンラインは今もなおキプロスを分断しており、島の北側に事実上、自治トルコキプロス政権ができた。1983年、北キプロス・トルコ共和国(TRNC)が独立を宣言したが、トルコのみが共和国を承認している。国際社会は、TRNCの領土をキプロス共和国のトルコ占領地域と見なしている。この占領は国際法下で違法と見なされており、欧州連合にキプロスが加盟したため、欧州連合の領土を不法に占領していることとなっている。

トルコ人は、この作戦は「キプロス平和作戦(Kıbrıs Barış Harekâtı)」、「平和作戦(Barış Harekâtı)」、又は「キプロス作戦(Kıbrıs Harekâtı)」とも呼んでおり、トルコの軍事行動は平和維持作戦であると主張している。

ウィキメディア・コモンズには、トルコのキプロス侵攻に関連するカテゴリがあります。