ナウ・ニハール・シング

ナウ・ニハール・シング
Nau Nihal Singh
シク国王
ナウ・ニハール・シング
在位 1839年 - 1840年
戴冠式 1839年10月8日
別号 マハーラージャ

出生 1821年10月8日
ラホール
死去 1840年11月6日
ラホールラホール城
王朝 スケルチャキア朝
父親 カラク・シング
母親 チャーンド・カウル
宗教 シク教
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ナウ・ニハール・シング(Nau Nihal Singh, 1821年10月8日 - 1840年11月6日)は、北インドパンジャーブ地方シク王国の君主(在位:1839年 - 1840年)。

生涯

1821年3月9日シク王国の君主(このときはまだ君主ではない)カラク・シングの息子として生まれた[1]

1839年10月8日、父であるカラク・シングを廃位、投獄したことで、息子であるナウ・ニハール・シングが即位した[1]

1840年11月6日、ナウ・ニハール・シングは前日に死んだ父の葬儀からラホール城へと帰還した際、門の修理をしていた石工が落とした岩が頭に激突して死亡した[1]

ギャラリー

  • ナウ・ニハール・シング
    ナウ・ニハール・シング
  • ナウ・ニハール・シングのハーヴェリー
    ナウ・ニハール・シングのハーヴェリー

出典・脚注

  1. ^ a b c Lahore 3

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、ナウ・ニハール・シングに関連するカテゴリがあります。
シク王

ランジート・シング1801-1839 / カラク・シング1839 / ナウ・ニハール・シング1839-1840 / チャーンド・カウル 摂政1840-1841 / シェール・シング1841-1843 / ドゥリープ・シング1843-1849