ハーラル2世 (ノルウェー王)

曖昧さ回避 その他の王については「ハーラル2世」をご覧ください。
ハーラル2世
Harald II
ノルウェー国王
息子たちをけしかけるグンヒルド
在位 961年 - 970年ごろ

出生 935年ごろ
死去 970年ごろ
 デンマークリムフィヨルド
王朝 ホールファグレ朝
父親 エイリーク血斧王
母親 グンヒルド・ゴームズダター(英語版)
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ハーラル2世古ノルド語:Haraldr gráfeldr、ノルウェー語:Harald Gråfell、デンマーク語:Harald Gråfeld、935年ごろ - 970年ごろ)は、ホールファグレ朝ノルウェー王(在位:961年 - 970年ごろ)である[1]灰衣王とよばれる。

あだ名の由来

ハーラル2世は、vararfeldir(羊毛から作られたフェイクファーの一種)の大荷物を運んだアイスランドの商船の乗組員と出会って以降、「灰衣王」の異名で呼ばれるようになった。アイスランド商人がフェイクファーの販売に苦労していたため、王がたまたま灰色だったファーを献上できるかどうか尋ねると、彼らは躊躇することなく献上し、王はこれをすぐさま外套として使った。これがすぐに流行し、ほどなくアイスランド商人は過去に売れ残っていた全てのファーを王の臣下と地元民に売った。それ以降、ハーラル2世は「ハーラル灰衣王」として知られるようになったという[2]

生涯

ハーラル2世は、エイリーク血斧王の息子でハーラル美髪王の孫である。母親はデンマーク王ハーラル青歯王の姉妹グンヒルド・ゴームズダター(英語版)である。

父が954年に崩御した後、ハーラル2世とその弟らはホーコン善王に対抗して、おじのハーラル青歯王と手を組んだ。フレイ島(en)付近で行われたラスタルカルフの戦い(英語版)(955年)やフィットヤールの戦い(en、961年)など何回かホーコン善王と戦った。

ホーコン善王がフィットヤール(en)で崩御した後、ハーラル2世とその弟らはともにノルウェー王になったが、ノルウェー西部以外にはほとんど支配権が及ばなかった。ハーラル2世が兄弟で最年長であったため最も強大な権力を保持した。961年にデンマークのハーラル青歯王がノルウェーを訪れ、ハーラル2世がノルウェーにおける属王であると宣言した。

シグルズ・ハーコナルソン(英語版)、トリグヴァ・オーラヴソン(en)、ギュドロ・ビョルンソン(en)ら地元の支配者を殺害して支配を強めた。このようにしてハーラルは王国を支配し、ハーロガランド(英語版)を組み入れた。また、ノルウェー沿岸の交易路の支配を確立し、ビャルマランド(英語版)(現在のロシア北部アルハンゲリスク地域)へのヴァイキング遠征にも着手した。まもなくしてハーラル2世はハーラル青歯王の支援に頼ることがほとんどなくなった[3]

970年、ハーラル2世は騙されてデンマークに向かい、シグルズ・ハーコナルソンの息子でハーラル青歯王と手を組んだハーコン・シグルザルソンの策略により、リムフィヨルドのハルス(Hals)で殺害された。ハーコン・シグルザルソンは、父親が961年にハーラル灰衣王の臣下に殺害された後にラーデのヤールとなっていた。ハーラル灰衣王が殺害された後、その生き残った弟らはノルウェーから逃亡した。ハーラル灰衣王の死によりハーラル青歯王がノルウェーの支配権を取り戻し、ハーコン・シグルザルソンをノルウェーの属王として支援した[4]

脚注

  1. ^ “Harald 2 Eiriksson Gråfell – utdypning”. Store norske leksikon. 2023年1月14日閲覧。
  2. ^ Sturluson, Snorri. “Haralds Saga Gráfeldar, ch. 7”. Heimskringla. History of the Kings of Norway. 2023年1月14日閲覧。
  3. ^ “Bjarmeland”. Store norske leksikon. 2023年1月14日閲覧。
  4. ^ Sturluson, Snorri (1905). “Óláfs saga Tryggvasonar, ch. 12 to 14”. Heimskringla. History of the Kings of Norway. Eiríkr Magnúson (trans.). https://books.google.com/books?id=Cv2j2xgEF8IC&pg=PR90 

その他の出典

ウィキソースハーラル2世 (ノルウェー王)に関するブリタニカ百科事典第11版のテキストがあります。
  • Krag, Claus (2001). “Harald Gråfell”. Norsk biografisk leksikon. Bd 4 (2nd ed.) 
  • Koht, Halvdan (1931). “Harald Graafeld”. Norsk biografisk leksikon. Bd 5 (1st ed.) 
ノルウェー王国旗ノルウェー国王ノルウェー王国章
ユングリング家
  • ハーラル1世872-933
  • エイリーク1世930-934
  • ホーコン1世934-961
  • ハーラル2世961-976
ラーデヤール家
ユングリング家
  • オーラヴ1世995-1000
スキョル家
  • スヴェン1世999-1015
ユングリング家
  • オーラヴ2世1015-1028
スキョル家
ユングリング家
  • マグヌス1世1035-1047
シュル家
  • ハーラル3世1046-1066
  • マグヌス2世1066-1069
  • オーラヴ3世1066-1093
  • ホーコン・マグヌソン1093-1095
  • マグヌス3世1093-1103
  • オーラヴ・マグヌソン1103-1115
  • エイステイン1世1103-1123
  • シグル1世1110-1130
  • マグヌス4世1130-1135
  • ハーラル4世1130-1136
  • シグル2世1136-1155
  • インゲ1世1136-1161
  • エイステイン2世1142-1157
  • マグヌス・ハーラルソン1142-1145
  • ホーコン2世1157-1162
  • マグヌス5世1161-1184
  • スヴェレ1177-1202
  • ホーコン3世1202-1204
  • グットルム1204
  • インゲ2世1204-1217
  • ホーコン4世1217-1263
  • マグヌス6世1257-1280
  • エイリーク2世1280-1299
  • ホーコン5世1299-1319
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  • エイリーク3世1389–1442
プファルツ=ノイマルクト家
  • クリストファ1442-1448
ボンデ家
  • カール1世1442-1448
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  • クリスチャン1世1450-1481
  • ハンス1481-1513
  • クリスチャン2世1513-1523
  • フレゼリク1世1523-1533
  • クリスチャン3世1534-1559
  • フレゼリク2世1559-1588
  • クリスチャン4世1588-1648
  • フレゼリク3世1648-1670
  • クリスチャン5世1670-1699
  • フレゼリク4世1699-1730
  • クリスチャン6世1730-1746
  • フレゼリク5世1746-1766
  • クリスチャン7世1766-1808
  • フレゼリク6世1808-1814
  • クリスチャン・フレデリク1814
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  • カール2世1814-1818
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  • オスカル2世1872-1905
グリュックスブルク家