マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイア
マリア・ルイサ・デ・サボヤ Maria Luisa de Saboya | |
---|---|
スペイン王妃 | |
| |
在位 | 1701年11月2日 - 1714年2月14日 |
出生 | 1688年11月17日 サヴォイア公国、トリノ |
死去 | (1714-02-14) 1714年2月14日(25歳没) スペイン帝国、マドリード王宮 |
埋葬 | スペイン帝国、エル・エスコリアル修道院 |
結婚 | 1701年11月2日 フィゲラス |
配偶者 | スペイン王フェリペ5世 |
子女 | ルイス1世 フェリペ・ルイス フェリペ・ペドロ フェルナンド6世 |
家名 | サヴォイア=ブレッセ家 |
父親 | サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世 |
母親 | アンヌ・マリー・ドルレアン |
宗教 | ローマ・カトリック |
テンプレートを表示 |
マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイア(Maria Luisa di Savoia, 1688年11月17日 - 1714年2月14日)は、スペイン王フェリペ5世の最初の王妃。スペイン語名はマリア・ルイサ・デ・サボヤ(Maria Luisa de Saboya)。
生涯
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世(後のサルデーニャ王)とアンヌ・マリー・ドルレアン(オルレアン公フィリップ1世の娘)の娘。姉マリア・アデライデはフランス王太子ルイの妃、ルイ15世の母。
1701年11月に又従兄のフェリペ5世(マリア・アデライデの夫ルイの弟)と結婚。翌年、スペイン継承戦争が勃発。マリアはフンタへの参加や、夫への支援を求めて資金集め・支持者集めに奔走した。1713年にスペイン継承戦争が終結、フェリペ5世はスペイン王位を列強に承認されたが、マリアは翌1714年に死去、フェリペ5世は同年にエリザベッタ・ファルネーゼと再婚した。
意志の弱い夫を支え続け、良い影響を与えた女性として、スペインで愛された。
子女
- ルイス1世(1707年 - 1724年)
- フェリペ・ルイス(1709年、夭折)
- フェリペ・ペドロ(1712年 - 1719年)
- フェルナンド6世(1713年 - 1759年)
スペイン正配(王妃・王配) | |
---|---|
アブスブルゴ朝 | イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン / マリア・デ・イングラテラ / イサベル・デ・バロイス / アナ・デ・アウストリア / マルガリータ・デ・アウストリア / イサベル・デ・ボルボン / マリアナ・デ・アウストリア / マリア・ルイサ・デ・オルレアンス / マリア・アナ・デ・ネオブルゴ |
ボルボン朝 | マリア・ルイサ・デ・サボヤ / イサベル・デ・ファルネシオ / ルイサ・イサベル・デ・オルレアンス / バルバラ・デ・ブラガンサ / マリア・アマリア・デ・サホニア / マリア・ルイサ・デ・パルマ |
ボナパルテ朝 | マリア・フリア・クラリー 1808-1813 |
ボルボン朝 | |
サボヤ朝 | マリア・ビクトリア・ダル・ポッソ・デッラ・システルナ 1870-1873 |
第一共和政 1873-1874 | |
ボルボン朝 | マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンス 1874-1885 / マリア・クリスティーナ・デ・アブスブルゴ=ロレーナ / ビクトリア・エウヘニア・デ・バッテンベルグ |
第二共和政 1931-1939 | |
フランコ体制 1939-1975 | |
ボルボン朝 | ソフィア・デ・グレシア 1975-2014 / レティシア・オルティス 2014-現在 |