レッドリボン
「レッドリボン」のその他の用法については「レッドリボン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
レッドリボン(英: red ribbon)は、アメリカ合衆国を発祥とする、薬物乱用の防止、AIDS に対する戦い、両方の象徴(シンボル)たる、赤のアウェアネス・リボンである。
多くの場合、HIV / AIDS と共に生きる人々(people living with HIV / AIDS、PLWHA[1]、HIV positive people)の連帯の象徴(シンボル)である[2]。PLWHA に対し、偏見を持たず、差別せず、理解し、支援するための、世界的な社会運動を象徴している。国際連合エイズ合同計画(UNAIDS)のシンボルマークにも採用された。
レッドリボン財団(The Red Ribbon Foundation[3])は、HIV、エイズ関連症候群 (ARC)(英語版)、AIDS 等の予防に関する教育をその主な目的として1993年に創設された、レッドリボンをシンボルとして使用する代表的な組織である。
概要
レッドリボンは、最初、アメリカ麻薬取締局(DEA)の Enrique S. Camarena 捜査官が、メキシコのグアダラハラにおける潜入捜査の最中に誘拐され、拷問され、強姦され、殺害された後に初めて使用された。彼の故郷であるキャレキシコ市 (カリフォルニア)(英語版)の市民は、より多くの予防の努力の必要を強調するためにレッドリボンを着用した。
1988年、レッドリボン週間(英語版)が全国的なキャンペーンになった。現在、DEA は、毎年10月の最終週をレッドリボン週間と定め、薬物(麻薬)やアルコールの乱用を防止するための教育の一環として多くの小中学生にリボンの着用を推進している。
元々はヨーロッパの古くからの風習で、亡くなった人々への追悼の気持ちをあらわすものである。レッドリボンがエイズのために使われ始めたのは、アメリカでエイズが社会的な問題となってきた1980年代の終わり頃。この頃、演劇や音楽などで活動していたニューヨークのアーティストたちにもエイズが広がり、倒れて死んでいくアーティストたちが増えていた。そうした仲間たちに対する追悼の気持ちとエイズに対する理解と支援の意志を示すため、レッドリボンをシンボルにした運動が始まった。後にこのレッドリボン運動は、その考えに共感した人々によって国境を越えた世界的な運動として発展した。
エイズ啓発運動の起源
レッドリボン運動の計画は、ニューヨークに本拠を置くVisual AIDS[4]という、芸術家の運動により1991年に起こった。
脚注
- ^ GNP+ is the global network for and by people living with HIV
- ^ “World AIDS Day - 1 December”. 2009年2月13日閲覧。
- ^ The Red Ribbon Foundation / レッドリボン財団
- ^ Visual AIDS
関連項目
外部リンク
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シンボルマーク | レッドリボン | ||||
ウイルス | ヒト免疫不全ウイルス(HIV) | ||||
疾患・症状 | 後天性免疫不全症候群(AIDS) - エイズ関連症候群(ARC) - 日和見感染 - カポジ肉腫 - ニューモシスチス肺炎 | ||||
抗ウイルス薬 | HIV-1感染症治療薬 - ジドブジン - プロストラチン | ||||
治療法 | |||||
運動・団体 (アマチュア) |
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機関・拠点 (医療従事者) | 国際エイズ学会/en(国際エイズ会議/en) - 国際連合エイズ合同計画
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概念 | |||||
著名な PLWHA | Category:HIV-陽性の人物
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