天臨閣

天臨閣(てんりんかく)は、大坂城本丸にあった桃山様式の書院建築。紀州御殿(きしゅうごてん)の通称で知られた。

歴史

  • 元和7年(1621年)、この頃和歌山城二の丸御殿が整備される。
  • 慶応4年(1868年)、戊辰戦争により、大坂城本丸御殿が焼失。
  • 1885年明治18年)、和歌山城二の丸御殿の白書院、黒書院、遠侍を大坂城本丸へ移築する。陸軍大阪鎮台本営として利用され、紀州御殿と呼ばれる。
  • 1888年(明治21年)、大阪鎮台が第4師団となり、第4師団司令部として利用される。
  • 1931年昭和6年)、大阪城天守の再建および本丸の公園化(大阪城公園の開園)により、大阪市民からの寄付で第4師団司令部庁舎(現・MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城))が完成する。紀州御殿は大阪市へ移管され、大阪市迎賓館となる。併せて日本庭園が整備される。
  • 1932年(昭和7年)、昭和天皇行幸。紀州御殿が行在所となる。
  • 1933年(昭和8年)、紀州御殿を「天臨閣」と改称する。
  • 1945年(昭和20年)9月29日、進駐軍が接収。
  • 1947年(昭和22年)9月12日、進駐軍の失火により焼失。

参考文献

  • 文:宮上茂隆、絵:穂積和夫「大坂城 天下一の名城 日本人はどのように建造物をつくってきたか3」草思社

関連項目