小野田町枝

小野田 町枝(おのだ まちえ、1937年 - )は、(財)小野田自然塾理事、小野田牧場共同経営者、日本女性の会会長。夫は小野田寛郎

人物

茨城県出身[1]千葉県立佐原女子高等学校卒業後、日産自動車トーメンブリヂストンに勤務[1]。その後、保険代理店を経営しながら、上智大学で聴講生として心理学を学ぶ[1]

1976年に小野田寛郎と結婚し、ブラジル移住。牧場を開拓し、日本語学校を創設した[1]

2006年、安西愛子の後任として日本会議の女性組織・日本女性の会の会長に就任[2]

発言・主張

  • 「私はね、若い人に働こうと言いたいの。生き方に迷ったり、袋小路に入ってしまったと感じたら額に汗して仕事をしてみて。必ず心は軽くなります。今の日本には若い人の仕事はたくさんある。どんな仕事でも、きっとあなたの血となり肉となる。理屈じゃなく、人を支えてくれます」と語った[1]
  • 選択的夫婦別姓制度導入に反対[3]

著書

  • 『私は戦友になれたかしら―小野田寛郎とブラジルに命をかけた30年』清流出版 ISBN 978-4860290139, 2002/08.

脚注

  1. ^ a b c d e “働くということが人生にどれほどの実りをもたらすか。 私は若い世代に語り続けていきたい。”. 朝日新聞デジタル. (2004年8月30日). http://www.asakyu.com/anohito/?id=28 2013年5月28日閲覧。 
  2. ^ “「日本女性の会」会長に小野田夫人=日本会議の女性団体=開拓30年の経験に期待=尾西兵庫会長=「しっかりした人」”. ニッケイ新聞. (2006年12月5日). オリジナルの2013年4月24日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130424103032/http://www.nikkeyshimbun.com.br/061205-71colonia.html 2013年5月28日閲覧。 
  3. ^ オピニオン、日本会議、2010年3月20日
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