山名致豊

山名 致豊(やまな むねとよ/おきとよ、応仁2年(1468年) - 天文5年7月3日(1536年7月20日))は、戦国時代の大名。但馬備後守護山名政豊の子。兄弟に常豊、俊豊、誠豊。子に安豊、祐豊豊定

生涯

当初嫡男となっていた兄の俊豊(としとよ)が廃嫡された後に、父・政豊より後継者に指名されてその跡を継ぐ。

しかし永正9年(1512年)に守護代垣屋氏をはじめ、「山名四天王」と呼ばれる太田垣氏八木氏田公氏・田結庄氏ら有力国人衆に離反を起こされ、弟の誠豊に山名氏の家督を譲った。

偏諱を与えた人物

参考文献

  • 渡邊大門『中世後期山名氏の研究』日本史史料研究会(2010)

関連項目


先代
山名政豊
山名氏当主
1499年 - 1512年
次代
山名誠豊