於久の方

曖昧さ回避 この項目では、本多忠勝の正室について説明しています。松平広忠の側室については「於久の方 (松平広忠側室)」をご覧ください。

於久の方(おひさのかた、? - 慶長18年10月27日(1613年12月8日))は、戦国時代から江戸時代初期の女性。阿知和玄鉄の娘で、本多忠勝の正室。小松姫、もり姫、本多忠政本多忠朝の母。法名は見星院殿蓮誉光信大禅定尼[1]で、見星院とも呼ばれる。

略歴

永禄12年(1569年)10月に本多忠勝と結婚した[2]慶長6年(1601年)、忠勝が桑名藩転封となった際、次男の忠朝が領する大多喜藩に残った。墓は高野山奥之院にある[3]

脚注

  1. ^ “良玄寺・本多忠勝ら墓碑”. 2021年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月14日閲覧。[信頼性要検証]
  2. ^ “本多忠勝の妻”. 2022年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月7日閲覧。[信頼性要検証]
  3. ^ “高野山武将の墓”. 2022年9月7日閲覧。[信頼性要検証]
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