明治鍼灸短期大学(めいじしんきゅうたんきだいがく、英語: Meiji College of Acupuncture Medicine)は、京都府船井郡日吉町保野田ヒノ谷6[注 1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1978年に設置され、1987年に廃止された。大学の略称は明医短。
概要
大学全体
教育および研究
学風および特色
沿革
略歴
- 鍼灸師の養成は従来、全て各種学校でのみ行われていた。そのため、教育内容や施設さらに教員などの面で遅れていたのが現状で、教育水準の向上に向けて大学レベルに格上げすることの必要性が強調された。そこで念願叶って漸く日本初の鍼灸師養成の短大として設置されたのが明治鍼灸短期大学である[6][9]。
年表
基礎データ
所在地
象徴
- 明治鍼灸短期大学のカレッジマークには、「明醫大」の文字が縦に記されていた。なお、「醫」は「医」の旧字体である[6]
教育および研究
組織
学科
専攻科
別科
取得資格について
附属機関
大学関係者と組織
大学関係者組織
大学関係者一覧
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出身者
- 荒木一成:恐竜造形家。造形活動外では病院に勤務していた。
対外関係
系列校
注釈
- ^ a b 現在は、京都府南丹市日吉町保野田ヒノ谷6
- ^ 専攻科は1984年度入学生まで。
- ^ a b ほか詳細は国立国会図書館デジタルコレクションにて『明治鍼灸短期大学』で文字検索のこと。
- ^ a b c 5月1日時点でのデータ。
- ^ 全国短期大学一覧 昭和58年度において、「昭和58年度から学生募集停止」と表記あることから。
- ^ 国会ニュース (2)(2658)に1983年より四年制大学を開設した旨の記事があることから。
- ^ 大学資料 (87)に「明治鍼灸短期大学(120人)の移行」とあることから。
- ^ 但し東洋医学とペインクリニック = Oriental medicine and the pain clinic 12(3)(44)によると、1983年度入学生についても短期大学として入学試験を行うお知らせをしていたことがうかがえる。
- ^ 全国短期大学一覧 昭和60年度-短期大学専攻科-には記載がない。
出典
- ^ 京都年鑑 1979年版より。
- ^ a b c 短期大学一覧 昭和53年度より。
- ^ a b c d 全国短期大学一覧 昭和56年度-短期大学専攻科-より。
- ^ 大学資料 (106)より。
- ^ a b c 日本の私立短期大学より。
- ^ 東洋医学とペインクリニック = Oriental medicine and the pain clinic 8(2)(27)より。
- ^ 柔道 49(8)より。
- ^ 日本医師会雑誌 = The Journal of the Japan Medical Association 79(2)より。
- ^ 90周年のあゆみ|学校法人明治東洋医学院より。
- ^ 柔道 49(9)より。
- ^ a b 全国学校総覧 昭和54年版より。
- ^ 柔道 54(1)より。
- ^ 全国学校総覧 昭和58年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和59年版より。
- ^ 全国短期大学一覧 昭和59年度-短期大学専攻科-より。
- ^ 東洋医学とペインクリニック = Oriental medicine and the pain clinic 8(3)(28)より。
- ^ 短期大学教育 (38)より。
- ^ CiNii-糖尿病の鍼灸治療-より。
参考文献
- 文部省『全国学校総覧 昭和61年版』原書房。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005663143-00。
- 文部省『全国短期大学・高等専門学校一覧 昭和63年度』文教協会。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I064919802-00。
- 南丹市企画管理部情報推進課『広報なんたん 2008年 (6・7月) (29)』南丹市。https://dl.ndl.go.jp/pid/12476722。
関連項目
関連サイト