石原正明

石原 正明(いしはら まさあき、宝暦10年(1760年) - 文政4年1月7日(1821年2月9日))は、日本国学者歌人

人物

宝暦10年(1760年)、尾張国神守宿(現津島市神守町)の豪農石原文右衛門の次男(第5子)として生を受ける[1]。幼少期より漢学を学び、有職故実に精通する[1]。33歳のときに本居宣長に入門する[2][3]。また、塙保己一の元で群書類従の編纂に関わる[2]。保己一に認められ、和学講談所の塾頭となった[2]

文政4年(1821年)1月、名古屋において病死[2]

著作

  • 『年々随筆』[2]
  • 『律逸』[2]
  • 『尾張廼家苞』[2]
  • 『百人一首新抄』[2]
  • 『冠位通考』[2]
  • 『制度通考』[2]

脚注

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  1. ^ a b 黒田剛司 & 浅井厚視 2011, p. 81.
  2. ^ a b c d e f g h i j 黒田剛司 & 浅井厚視 2011, p. 82.
  3. ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、105頁。 

参考文献

  • 黒田剛司、浅井厚視『尾張津島見聞録―津島はこんなに面白い―』津島商工会議所、2011年8月16日。 
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