端宗 (朝鮮王)

端宗 李弘暐
李朝
第6代国王
端宗御真
王朝 李朝
在位期間 1452年5月14日-1455年6月11日
諡号 恭懿温文純定安荘景順敦孝大王
廟号 端宗
生年 1441年8月9日
没年 1457年11月11日
文宗
顕徳王后
王后・王配 定順王后(礪山宋氏)
妃嬪 下記参照
子女 下記参照
陵墓 荘陵(端宗大王陵)
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端宗(たんそう、タンジョン、正統6年7月23日(1441年8月9日) - 天順元年10月24日(1457年11月11日))は、李氏朝鮮の第6代国王(在位:1452年(景泰3年) - 1455年(景泰6年))。姓は李、名は弘(こうい、ホンウィ、홍위)、諡号は恭懿温文純定安荘景順敦孝大王。父は第5代国王文宗。母は顕徳王后権氏。妃は礪良府院君宋玹寿の娘、定順王后

経歴

1441年8月9日(旧暦7月23日)に出生するが同年8月10日(旧暦7月24日)に母を失う。このために祖父の世宗後宮である恵嬪楊氏に養育される。1448年に世孫に冊封される。

治世

1452年に父の死去により11歳で即位する。当時、序列が高い王妃不在の為に垂簾聴政が不可能な状況であったこともあり、王族代表2名に自身の輔弼を依頼し叔父である首陽大君(次代国王・世祖)と錦城大君が選定される。

一方で議政府においては皇甫仁金宗瑞が実権を握り、人事においては指名された一部臣下が提出した人事名簿に王が印をつける黄標政事制度が採られたために皇甫仁と金宗端の権力が行き過ぎについては成三問らからも批難されるところであった。

1453年に首陽大君が大伯父譲寧大君申叔舟権擥韓明澮らと結託して癸酉靖難を起こして端宗を補佐する大臣らや安平大君を除き、政権を掌握した。1454年には錦城大君も配流され、首陽大君の陰謀により1455年に王位を追われて上王となる。

譲位、降格、賜死

1455年に皇甫仁や金宗瑞の権力拡大に批判的であった成三問ら集賢殿の学者たちは端宗の復位を計画して失敗し、1456年に処刑される。において、1457年1月16日 (旧暦)に当時上皇であった英宗が景泰帝から帝位を奪還して重祚した奪門の変が起こる。同年6月(旧暦)に上王を廃位となり、魯山君(ノサングン[1]、ろさんくん)に、後に庶人に降格される。以後、江原道寧越へ追放される。錦城大君が賜死となった翌月の同年10月(旧暦)に王命によりその地で薬殺刑(賜薬)[2]に処され、遺体は川に投げ込まれた。享年16。陵は江原道寧越にある荘陵。

没後

賜死から241年後の1698年、第19代国王粛宗が魯山君を復位させ、端宗という諡号を贈った。逝去550周年になる2007年5月、陵地寧越で国葬が行われ、非命に一生を終えた若き国王の冥福を祈った。

逸話

前漢城府尹の秋益漢は時々端宗に山ぶどうを捧げて一緒に詩 を作った。端宗が死んだ日、秋益漢の夢に白馬に乗った端宗が「太白山(韓国の山)に行く」と言って消えた。そのことから、韓国の民間信仰では端宗は太白山の神になったと信じられている。

家系

  • 祖父: 世宗(1397年 - 1450年)
  • 祖母: 昭憲王后沈氏(1395年 - 1446年)
  • 父: 文宗(1414年 - 1452年)
  • 母: 顕徳王后権氏(1418年 - 1441年)
  • 正室: 定順王后宋氏(1440年 - 1521年)- 礪良府院君 宋玹寿の娘
    • 子女なし
  • 後宮: 淑儀金氏(朝鮮語版)(生年不詳 - 1525年)- 金師禹の娘[3]
  • 後宮: 淑儀権氏(朝鮮語版)(生没年不詳)- 権完の娘[3]。諱は権仲非[4]

端宗が登場する作品

小説
  • 端宗哀史(朝鮮語版) - 李光洙作、1929年。
    • 金容権訳、日本評論社、2014年、全2巻。ISBN 978-4535586192(上巻)、ISBN 978-4535586208(下巻)
  • 朝鮮王朝500年 少年端宗 - 辛奉承(朝鮮語版)作。1985年、金星出版社。
  • キム・ビョラ『永遠の別れ 永離別』チャンヘ、2005年。ISBN 9788979196894。 
映画
  • 端宗哀史(上記小説の映画化作品。1956年、日本未公開、配役: ファン・ヘナム)[5]
  • 端宗哀史(同上。1963年、日本未公開、配役: キム・ウナ)[6]
  • 賜薬(1984年、日本未公開、配役: イ・ジェハク)[7]
  • 観相師 -かんそうし-(2013年、配役: チェ・サンウ(朝鮮語版)
テレビドラマ

脚注

  1. ^ 北朝鮮ではサングンと読む。
  2. ^ 配流先の寧越で洪允成の手の掛かった人物に首を絞められて殺害されたという説もある。
  3. ^ a b 「世祖與孝寧大君補, 永膺大君 琰, 和義君 瓔, 桂陽君 璔, 漢南君 𤥽, 左議政鄭麟趾, 右議政韓確, 吏曹判書鄭昌孫, 兵曹判書李季甸, 禮曹判書金銚, 左承旨申叔舟, 右承旨朴彭年等, 會于賓廳, 議啓以宋玹壽女爲妃, 金師禹及び權完女爲媵.」朝鮮王朝実録 端宗実録10巻 端宗2年1月10日 壬戌4回目
  4. ^ 「放權完女仲非. 蓋魯山君後也, 宮曾給功臣爲婢, 至是放之.」朝鮮王朝実録 世祖実録33巻 世祖10年4月18日 庚子5回目
  5. ^ “단종애사” (朝鮮語). 韓国映像資料院. 2019年4月3日閲覧。
  6. ^ “단종애사” (朝鮮語). 韓国映画データベース. 2019年4月3日閲覧。
  7. ^ “사약” (朝鮮語). 韓国映画データベース. 2019年4月3日閲覧。
  8. ^ “TV 검색 파천무 출연” (朝鮮語). DAUM. 2019年4月3日閲覧。

関連項目

先代:
文宗
李氏朝鮮国王
第6代:1452年 - 1455年
次代:
世祖
国王
  • 太祖1393-1398
  • 定宗1398-1400
  • 太宗1400-1418
  • 世宗1418-1450
  • 文宗1450-1452
  • 端宗1452-1455
  • 世祖1455-1468
  • 睿宗1468-1469
  • 成宗1469-1494
  • 燕山君1494-1506
  • 中宗1506-1544
  • 仁宗1544-1545
  • 明宗1545-1567
  • 宣祖1567-1608
  • 光海君1608-1623
  • 仁祖1623-1649
  • 孝宗1649-1659
  • 顕宗1659-1674
  • 粛宗1674-1720
  • 景宗1720-1724
  • 英祖1724-1776
  • 正祖1776-1800
  • 純祖1800-1834
  • 憲宗1834-1849
  • 哲宗1849-1863
  • 高宗1863-1897
追尊王
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