紀元前164年
世紀 | 前3世紀 - 前2世紀 - 前1世紀 |
---|---|
十年紀 | 前180年代 前170年代 前160年代 前150年代 前140年代 |
年 | 前167年 前166年 前165年 紀元前164年 前163年 前162年 前161年 |
紀元前164年(きげんぜん164ねん)は、ローマ暦の年である。
他の紀年法
この節は、ウィキプロジェクト 紀年法のガイドラインに基づいて記述されています。この節に大きな変更を加える場合には、あらかじめ上記プロジェクトのノートで提案し、合意を形成してください。
凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
できごと
エジプト
セレウコス朝
- セレウコス朝の王アンティオコス4世エピファネスはエスファハーンへの遠征中に死去した。わずか9歳であった息子のアンティオコス5世が後を継ぎ、宰相のリュシアスが摂政を務めた。しかしリュシアスはシリアの軍人から反発を受けたため、ローマ元老院はセレウコス5世の息子デメトリオス1世を後継者と認めた。これによりローマ元老院はセレウコス朝に影響力を持つようになった。
- ユダ・マカバイに率いられたユダヤ人の反乱軍とリュシアスに率いられたセレウコス朝の軍がベト・ツルの戦いで戦った。ユダ・マカバイが勝利し、エルサレムを奪還した。ユダは汚されたエルサレム神殿を浄化し、アンティオコス4世によって作られた偶像を破壊した。この神殿では、毎年ハヌカーの日に祭が行われるようになった。
共和政ローマ
- ロドス島がローマとの条約に調印し、同盟国になった。
- ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスがケンソルに選ばれた。
誕生
「Category:紀元前164年生」も参照
死去
「Category:紀元前164年没」も参照
- アンティオコス4世エピファネス:セレウコス朝の王(紀元前215年生)
脚注
注釈
出典
[脚注の使い方]
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、紀元前164年に関連するカテゴリがあります。