請戸村

うけどむら
請戸村
廃止日 1953年10月10日
廃止理由 新設合併
請戸村、浪江町、幾世橋村浪江町
現在の自治体 浪江町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
双葉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,448
(国勢調査、1950年10月1日)
隣接自治体 双葉郡浪江町標葉町幾世橋村
請戸村役場
所在地 福島県双葉郡請戸村字御壇ノ西58
座標 北緯37度28分41秒 東経141度02分16秒 / 北緯37.47794度 東経141.03767度 / 37.47794; 141.03767座標: 北緯37度28分41秒 東経141度02分16秒 / 北緯37.47794度 東経141.03767度 / 37.47794; 141.03767
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請戸村(うけどむら)は、昭和28年(1953年)まで福島県双葉郡に存在していた村。現在の双葉郡浪江町東南部の太平洋に面した地域にあたる。

浪江町編入後も請戸は漁業の盛んな町であり、請戸漁港は福島県下でも大きな漁港となっている。また請戸海岸は海水浴場として、サーフィンの好適地として多くの客を集めている。

地理

沿革

  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、請戸村・中野村・中浜村・両竹村の計4か村が合併して新制の標葉郡請戸村が発足。
  • 明治29年(1896年)4月1日 - 標葉郡と楢葉郡が合併して双葉郡が発足。双葉郡請戸村となる。
  • 昭和28年(1953年)10月10日 - 浪江町・幾世橋村と合併し、新制の浪江町となる。

浪江町との合併に際して村民の一部が、昭和31年(1956年)9月末までに浪江町と葛尾村標葉町との合併が成立しなかった場合には、旧中野・中浜・両竹3か村の村域を境界変更により標葉町に編入することを希望した[1]。結局この合併案は双葉町(昭和31年(1956年)4月1日に標葉町から改称)側の拒否により頓挫したため、昭和33年(1958年)4月1日に旧中野村の全域と旧両竹村の一部が、昭和35年(1960年)4月1日には旧両竹村の一部と旧中浜村の一部が、それぞれ浪江町から双葉町へと編入された。

行政

  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 佐藤綱弘 明治22年(1889年)7月 明治26年(1893年)7月
2 立野称 明治26年(1893年)7月 明治27年(1894年)7月
3 黒木祗房 明治27年(1894年)7月 明治31年(1898年)7月
4 佐藤綱弘 明治31年(1898年)7月 明治35年(1902年)7月 再任
5 高野重宣 明治35年(1902年)7月 明治38年(1905年)6月
6 酒井宗助 明治38年(1905年)11月 明治41年(1908年)11月
7 岡田助重 明治41年(1908年)12月 大正4年(1915年)
8 深野隆重 大正4年(1915年) 大正5年(1916年)
9 佐藤源七 大正5年(1916年)8月10日 昭和3年(1928年)12月29日
10 泉田順 昭和4年(1929年)1月5日 昭和20年(1945年)2月19日
11 鈴木市三郎 昭和20年(1945年)2月28日 昭和22年(1947年)4月4日
12 熊川稔 昭和22年(1947年)4月5日 昭和28年(1953年)10月9日

教育

  • 請戸村立請戸小学校
  • 請戸村立請戸中学校

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 江戸時代、受戸(請戸)村は他の浪江町域同様に北標葉郷に属して浪江陣屋(権現堂村)の管轄下にあったが、これに対して中野・中浜・両竹の3か村は標葉町と同じ南標葉郷に属して長塚陣屋(長塚村)の管轄下にあった。

参考文献

  • 『浪江町史』(福島県双葉郡浪江町、1974)
  • 『浪江町近代百年史』第一集(浪江町郷土史研究会、1984)
  • 『長塚村郷土史』(福島県双葉郡双葉町、1984)
  • 『双葉町史』第一巻(福島県双葉郡双葉町、1995)

関連項目