ウィリー・スタージェル

ウィリー・スタージェル
Willie Stargell
1965年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州ポタワトミー郡アールズボロ(英語版)
生年月日 1940年3月6日
没年月日 (2001-04-09) 2001年4月9日(61歳没)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1958年 ピッツバーグ・パイレーツと契約
初出場 1962年9月16日
最終出場 1982年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者
選出年 1988年
得票率 82.44%
選出方法 BBWAA[:en]選出
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ウィルバー・ドーネル・スタージェルWilver Dornel Stargell, 1940年3月6日 - 2001年4月9日)はアメリカ合衆国オクラホマ州ポタワトミー郡アールズボロ(英語版)出身の元プロ野球選手一塁手外野手)。左投左打。

経歴

少年時代

スタージェルは1940年3月6日にオクラホマ州アールズボロに生まれるが、幼少時に両親の離婚を受け、いったんはフロリダ州の叔母の元に預けられ、その後実母が移住したカリフォルニア州アラメダに移って、少年時代を過ごす。

現役時代

エンシナル高等学校で学んだのち、1958年ピッツバーグ・パイレーツと契約し、最初は傘下のマイナーチームでプレイ。しかしながらスタージェルが新人だった当時、まだ黒人差別が根強く残っていた頃であり、各州のチームでプレイしていた折にはチームメイトでも白人と黒人とで泊まれる宿舎が違うなどの苦心をなめたこともあった。とりわけ、テキサス州での遠征ではスタージェルが銃を突きつけられる事態にも遭遇し、命の危険に遭った一幕もあった。

1962年シーズン終盤となる9月16日左翼手としてメジャーデビュー。その後1964年シーズンよりレギュラーとして頭角を表すようになった。同年にはサイクル安打を達成するほか、MLBオールスターゲームに初出場している。

1967年、前年のシーズンオフに頭痛に悩まされたことを機に減量を始めるが、これが災いし、前年33本塁打だったのが、同年は20本塁打しか打てなかった。そこで、パイレーツは専属トレーナーをスタージェルにつけるなどで力を取り戻すことに取り組むのだが、1968年シーズンは打率.237、24本塁打と低迷してしまう。1969年になって打率.307、29本塁打、92打点を挙げ、ようやく力を取り戻した。

スタージェルが本格的に活躍するのはチームの黄金時代ともいえる1970年代になってからである。チームメイトにはロベルト・クレメンテアル・オリバーデーブ・パーカーらがおり、地区優勝6回、リーグ優勝・ワールドシリーズ優勝2回と、「隠れた強豪チーム」と呼ばれた。

1971年シーズンは48本塁打を放って初の本塁打王になると、同年はチームがワールドシリーズに出場して、ワールドチャンピオンに輝いた。1973年は44本塁打を打ち、2度目の本塁打王に輝き、同年ドジャー・スタジアムにて現在も唯一とされるドジャー・スタジアムでの場外本塁打を放っている。

1975年シーズンより一塁手にコンバートされ、以後引退まで一塁を守った。

1977年に400号本塁打を達成。1979年には32本塁打・82打点と突出した成績ではなかったが、39歳という高齢でPOPS(パップス。お父さんの意)と慕われるほどのリーダーシップを発揮し、チームの精神的な支柱として数字以上の存在感を示して、チームのワールドチャンピオンに大きく貢献した事を評価されMVPに選ばれた。現在も最年長のMVP受賞である。 さらにリーグチャンピオンシップワールドシリーズでも好成績を残しMVPに選出され、1シーズン3度のMVPという快挙を成し遂げている。

1982年に現役を引退。引退時までには通算475本塁打放ち、現在も本塁打数においてパイレーツの球団記録である。またスタン・ミュージアルと通算本塁打数タイだった。引退する直前の1982年9月6日にスタージェルの背番号8』はパイレーツの永久欠番に指定された。

引退後

現役引退後、サイン会にて(1983年)
スタージェルの背番号「8」。
ピッツバーグ・パイレーツの永久欠番1982年指定。

引退後はアトランタ・ブレーブス一塁ベースコーチ(1986年 - 1988年)を務め、コーチ3年目の1988年には資格取得1年目でアメリカ野球殿堂入りを果たし、ファームでは新人時代のチッパー・ジョーンズを指導したこともある。

1997年には古巣・パイレーツのゼネラルマネージャー補佐に就任したが、引退後より体重増に悩まされていたところで、さらにパイレーツのフロント入りしたことによって体重増に拍車がかかる。このため、高血圧症心臓病にかかるなど病気がちになり、2000年に閉場したスリー・リバース・スタジアムの最終戦での始球式では車椅子姿と痛々しい姿だった。

2001年4月9日、古巣の新本拠地・PNCパークでの公式戦初開催の日の未明に腎不全の為、61歳で死去(なお、シンシナティ・レッズとの試合は2-8で敗戦している)。現在も同球場にはホーナス・ワグナー、クレメンテと共にスタージェルの銅像が設置されている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1962 PIT 10 34 31 1 9 3 1 0 14 4 0 1 0 0 3 1 0 10 0 .290 .353 .452 .805
1963 108 328 304 34 74 11 6 11 130 47 0 2 0 3 19 0 2 85 6 .243 .290 .428 .718
1964 117 442 421 53 115 19 7 21 211 78 1 1 1 1 17 2 2 92 7 .273 .304 .501 .805
1965 144 582 533 68 145 25 8 27 267 107 1 1 0 3 39 13 7 127 8 .272 .328 .501 .829
1966 140 549 485 84 153 30 0 33 282 102 2 3 5 5 48 16 6 109 7 .315 .381 .581 .962
1967 134 536 462 54 125 18 6 20 215 73 1 0 2 2 67 25 3 103 12 .271 .365 .465 .830
1968 128 496 435 57 103 15 1 24 192 67 5 0 1 7 47 11 6 105 12 .237 .315 .441 .756
1969 145 594 522 89 160 31 6 29 290 92 1 0 0 5 61 14 6 120 10 .307 .382 .556 .938
1970 136 529 474 70 125 18 3 31 242 85 0 1 0 6 44 11 5 119 14 .264 .329 .511 .840
1971 141 606 511 104 151 26 0 48 321 125 0 0 0 5 83 20 7 154 8 .295 .398 .628 1.026
1972 138 569 495 75 145 28 2 33 276 112 1 1 0 7 65 15 2 129 7 .293 .373 .558 .931
1973 148 609 522 106 156 43 3 44 337 119 0 0 0 4 80 22 3 129 6 .299 .392 .646 1.038
1974 140 605 508 90 153 37 4 25 273 96 0 2 0 4 87 21 6 106 8 .301 .407 .537 .944
1975 124 526 461 71 136 32 2 22 238 90 0 0 0 4 58 6 3 109 9 .295 .375 .516 .891
1976 117 487 428 54 110 20 3 20 196 65 2 0 0 4 50 6 5 101 4 .257 .339 .458 .797
1977 63 222 186 29 51 12 0 13 102 35 0 1 0 2 31 10 3 55 4 .274 .383 .548 .931
1978 122 450 390 60 115 18 2 28 221 97 3 2 0 3 50 10 7 93 8 .295 .382 .567 .949
1979 126 480 424 60 119 19 0 32 234 82 0 1 0 6 47 12 3 105 10 .281 .352 .552 .904
1980 67 231 202 28 53 10 1 11 98 38 0 0 0 1 26 10 2 52 2 .262 .351 .485 .836
1981 38 66 60 2 17 4 0 0 21 9 0 0 0 1 5 1 0 9 0 .283 .333 .350 .683
1982 74 85 73 6 17 4 0 3 30 17 0 0 0 2 10 1 0 24 1 .233 .318 .411 .729
MLB:21年 2360 9026 7927 1195 2232 423 55 475 4190 1540 17 16 9 75 937 227 78 1936 143 .282 .360 .529 .889
  • 各年度の太字はリーグ最高
一塁の守備につくスタージェル(1979年)

年度別守備成績



一塁(1B) 左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)
















































1962 PIT - 2 3 1 0 0 1.000 1 1 0 0 0 1.000 6 10 0 1 0 .909
1963 16 148 9 5 18 .969 35 42 1 2 0 .956 6 10 0 0 0 1.000 24 24 2 2 0 .929
1964 50 486 22 1 50 .998 57 74 2 8 0 .905 1 1 0 0 0 1.000 2 0 0 0 0 ----
1965 7 60 2 0 5 1.000 125 188 10 8 2 .961 - 19 26 2 0 1 1.000
1966 15 120 4 0 17 1.000 125 164 9 11 1 .940 - 3 5 0 0 0 1.000
1967 37 307 15 1 25 .997 92 125 13 10 1 .932 - 7 12 0 0 0 1.000
1968 13 110 7 0 12 1.000 109 141 11 9 0 .944 - 4 5 1 0 0 1.000
1969 23 174 10 2 20 .989 115 147 4 5 1 .968 - 1 1 0 0 0 1.000
1970 1 0 1 0 0 1.000 122 182 15 5 1 .975 - 3 3 0 0 0 1.000
1971 - 138 239 8 4 4 .984 - -
1972 101 881 40 15 96 .984 32 48 1 2 0 .961 - -
1973 - 142 255 13 7 1 .975 - -
1974 1 3 0 0 0 1.000 135 255 8 9 1 .967 - -
1975 122 1121 54 10 112 .992 - - -
1976 111 1037 53 13 76 .988 - - -
1977 55 449 27 7 26 .986 - - -
1978 112 875 57 6 76 .994 - - -
1979 113 949 47 3 102 .997 - - -
1980 54 460 33 4 54 .992 - - -
1981 9 70 0 0 10 1.000 - - -
1982 8 43 3 0 2 1.000 - - -
MLB 848 7293 384 67 701 .991 1229 1863 96 80 12 .961 8 12 0 0 0 1.000 69 86 5 3 1 .968
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 本塁打王:2回(1971年、1973年)
  • 打点王:1回(1973年)

表彰

記録

背番号

関連項目

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Baseballhalloffame.org(英語)アメリカ野球殿堂National Baseball Hall of Fame)による紹介
 
業績
ナショナルリーグMVP
チャルマーズ賞
リーグ表彰

以下、全米野球記者協会(BBWAA)による表彰

1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ本塁打王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 ハーマン・ロング(英語版)
  • 01 サム・クロフォード
  • 02 トミー・リーチ(英語版)
  • 03 ジミー・シェッカード
  • 04 ハリー・ラムリー(英語版)
  • 05 フレッド・オドウェル(英語版)
  • 06 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 07 デーブ・ブレイン(英語版)
  • 08 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 09 レッド・マレー(英語版)
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ カムバック賞
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1940年代
  • 49 ジョー・ペイジ(英語版)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ピッツバーグ・パイレーツ
球団
歴代本拠地
永久欠番
ワールドシリーズ優勝(5回)
ワールドシリーズ敗退(2回)
リーグ優勝(9回)
できごと
傘下マイナーチーム
ピッツバーグ・パイレーツ 1971年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
02 ジャッキー・ヘルナンデス
04 チャーリー・サンズ
07 ボブ・ロバートソン
08 ウィリー・スタージェル
09 ビル・マゼロスキー
11 ホセ・パガン
14 ジーン・アレー
15 ジーン・クラインズ
16 アル・オリバー
17 ドック・エリス
18 ビック・ダバリーヨ
20 リッチー・ヘブナー

21 ロベルト・クレメンテシリーズMVP
23 ルーク・ウォーカー
25 ブルース・キーソン
27 ボブ・ジョンソン
28 スティーブ・ブラス
29 ミルト・メイ
30 デーブ・キャッシュ
31 デーブ・ジュスティ
32 ボブ・ミラー
34 ネルソン・ブライルズ
35 マニー・サンギーエン
38 ボブ・ムース
39 ボブ・ヴィール

監督
40 ダニー・マートー

コーチ
05 デーブ・リケッツ(ブルペン)
41 ビル・バードン(打撃)
42 ドン・オズボーン(投手)
43 ドン・レパート(一塁)
44 フランク・オーシャック(三塁)

ピッツバーグ・パイレーツ 1979年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
03 フィル・ガーナー
05 ビル・マドロック
06 レニー・ステネット
08 ウィリー・スタージェルシリーズMVP
10 ティム・フォーリ
14 エド・オット
15 エンリケ・ロモ
16 スティーブ・ニコシア
17 リー・レイシー
18 オマー・モレノ
19 ジム・ルッカー
22 バート・ブライレブン

23 グラント・ジャクソン
24 マイク・イースラー
25 ブルース・キーソン
26 ジム・ビビー
27 ケント・テカルヴ
28 ビル・ロビンソン
34 ジョン・ミルナー
35 マニー・サンギーエン
36 マット・アレクサンダー
39 デーブ・パーカー
43 ドン・ロビンソン
45 ジョン・キャンデラリア
49 デーブ・ロバーツ

監督
07 チャック・タナー

コーチ
31 ハービー・ハディックス
32 ジョー・ロネット
42 アレックス・モンチャック
48 ボブ・スキナー

典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
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国立図書館
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  • アメリカ
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