クリスチーヌ・ド・フランスに捧げる歌

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クリスチーヌ・ド・フランスに捧げる歌』(仏語原題: Couplet d'une chanson pour Christine de France )は、モリエールによる歌曲。1655年発表。

内容[1]

遠ざかっておくれ私から、遠ざかっておくれ私から、悲しみも、
すすり泣きも、涙も、ため息も。
姫君のお姿を再び私は目にしている。
そのお姿こそ私の思いのすべて、
天にも昇るこの気持ち、
甘美に溢れ出るこの喜び。
私を彼岸に連れていくために
死よ、いつでもやってくるがよい。
姫君のお姿を私は再び目にしたのだから。

成立過程

サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世の妃であったフランス王女クリスチーヌのためにベジエにて制作された。モリエールと詩人、作曲家であったシャルル・ダスシの合作である。1655年の7月にダスシはモリエール劇団に合流し、ペズナスでの三部会のための興行やナルボンヌでの巡業に加わった。一度は劇団を離れたが、ベジエで再合流し、その時にこの歌が制作されたようである。ダスシはこの歌を公妃の前で披露した際の感想として「せっかくの傑作を歌い手が台無しにしてしまった」としか書き残しておらず、制作過程などについて詳しくは分からない[2]

日本語訳

  • 『クリスチーヌ・ド・フランスに捧げた歌』廣田昌義訳、(モリエール全集 1 所収)、臨川書店、2000年

脚注

  1. ^ モリエール全集1,P.231,ロジェ・ギシュメール他編,臨川書店,2000年刊行,同ページから引用
  2. ^ モリエール全集1,P.230,ロジェ・ギルメール、廣田昌義、秋山伸子共編,臨川書店
戯曲
1645年? 飛び医者 1650年? ル・バルブイエの嫉妬 1655年 粗忽者 1656年 恋人の喧嘩 1658年 恋する医者 1659年 才女気取り
1660年 スガナレル 1661年 ドン・ガルシ・ド・ナヴァール 1661年 亭主学校 1661年 はた迷惑な人たち 1662年 女房学校 1663年 グロ=ルネの嫉妬
1663年 女房学校批判 1663年 ヴェルサイユ即興劇 1664年 強制結婚 1664年 ぼうやのグロ=ルネ 1664年 エリード姫 1664年 タルチュフ
1665年 ドン・ジュアン 1665年 恋は医者 1666年 人間嫌い 1666年 いやいやながら医者にされ 1666年 メリセルト 1667年 パストラル・コミック
1667年 シチリア人 1668年 アンフィトリオン 1668年 ジョルジュ・ダンダン 1668年 守銭奴 1669年 プルソニャック氏 1670年 豪勢な恋人たち
1670年 町人貴族 1671年 プシシェ 1671年 スカパンの悪だくみ 1671年 エスカルバニャス伯爵夫人 1672年 女学者 1673年 病は気から
詩とソネ
1655年 相容れないものたちのバレエ 1655年 クリスチーヌ・ド・フランスに捧げる歌
1663年 国王陛下に捧げる感謝の詩 1664年 ご令息の死に際してラ・モット・ル・ヴァイエへ捧げるソネ
1665年 ノートルダム慈善信心協会の設立を記念する版画に付した詩 1668年 フランシュ=コンテを統治下に収められた国王陛下に捧げるソネ
1668年? ボーシャン氏のバレエのメロディーに付した詩 1669年 ヴァル・ド・グラース教会の天井画を称える詩
1671年? 美しいメロディーにのせた題韻詩
人物と関連項目
マドレーヌ・ベジャール アルマンド・ベジャール マルキーズ・デュ・パルク カトリーヌ・ド・ブリー ラ・グランジュ ミシェル・バロン ジャン=レオノール・グリマレ
盛名座 モリエール劇団 オテル・ド・ブルゴーニュ座 モリエールの医者諷刺 モリエール (列車)