乾象暦

乾象暦(けんしょうれき)は、中国暦の一つで、三国時代の呉において黄武二年(223年)から末年の天紀三年(280年)までの58年間にわたって使用された太陰太陽暦暦法後漢末の劉洪(りゅうこう)が作った。呉の闞沢が『乾象暦注』を著して誤差を修正した。

19年7閏月章法を採用し、1太陽年365+145/589(≒365.2462[1])日、1朔望月29+773/1457(≒29.53054[2])日とする。

また、1近点月27+3303/5969(≒27.55336[3])日とする計算法を提出しており、乾象暦によって初めて近地点の移動や黄道白道の交点の逆行といったの遅疾についての知識がの計算に取り入れられた。のちの定朔法につながる第一歩となる。

脚注

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  1. ^ “365+145/589”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
  2. ^ “29+773/1457”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
  3. ^ “27+3303/5969”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
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中国暦黄武2年(223年)-天紀3年(280年))
紀元前→後漢 古六暦
?-?
顓頊暦
?-BC105
太初暦
BC104-4
三統暦
5-84
後漢→魏 四分暦
85-236
景初暦
237-444
魏→南朝 元嘉暦
445-509
大明暦
510-589
 
四分暦
222
乾象暦
223-280
北朝 景初暦
398-451
玄始暦
412-522
正光暦
523-565
興和暦
540-550
天保暦
551-577
天和暦
566-578
四分暦
221-263
 
北朝→隋 大象暦
579-583
開皇暦
584-596
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597-618
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619-664
麟徳暦
665-728
大衍暦
729-761
五紀暦
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正元暦
784-806
観象暦
807-821
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822-892
 
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後周、北宋、南宋 欽天暦
956-963
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963-981
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981-1001
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1001-1023
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1024-1065
明天暦
1065-1068
崇天暦
1068-1075
奉元暦
1075-1093
観天暦
1094-1102
占天暦
1103-1105
紀元暦
1106-1135
後晋、遼 調元暦
893-943?
961-993
大明暦
994-1125
 
南宋 統元暦
1136-1167
乾道暦
1168-1176
淳熙暦
1177-1190
会元暦
1191-1198
統天暦
1199-1207
開禧暦
1208-1251
淳祐暦
1252
会天暦
1253-1270
成天暦
1271-1276
元以降 重修大明暦
1182-1280
授時暦
1281-1644
時憲暦
1645-1911
グレゴリオ暦
1912-
大明暦
1137-1181