定昭

定昭(じょうしょう、延喜6年(906年) - 天元6年3月21日(983年5月6日[1])は、平安時代中期の真言宗。父は左大臣藤原師尹。嵯峨僧都・一乗院僧都も称される。定照とも。

興福寺の忍斅(にんこう)に法相を学び、寛空灌頂を受けて大覚寺別当に任じられた。康保3年(966年)に権律師、天元2年(979年)には大僧都に昇任している。また、東寺長者・興福寺別当・金剛峯寺座主を歴任し、興福寺一乗院を創建した。晩年は「法華経」読誦に専念した。

脚注

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
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時代・地域
曼荼羅
日本の主な宗派

(※は真言宗各山会
加入団体)
東密
古義真言宗系
東密
新義真言宗系
真言律
台密
信仰対象
思想・基本教義
仏典

大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』・『理趣経

関連人物
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